生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
<み言>
「メシヤたる者はいかなる者か。メシヤは、ただ一つ、神の内心にあったその愛があるとすれば、その愛の全体が集結したその愛、方向を固め、出発点を同じくして、一致した方向のその愛を、総合された愛を受ける最初の者である。その者とは何か。神の前に初めて生まれた長男。長男だね。分かりました?
メシヤとは何かというと、神の愛の前に初めて生まれた、神の愛の前に立った、初めて神の長男としての愛を受けるそういう立場に立った者がメシヤだ。だから、イエス様もそういうことを言ったんだね。イエス様はひとり子、一人息子である。ひとり子、息子であるというのは、全体の愛を受けることである。始めから終わりまでね。神が絶対なる主体となれば、(メシヤは)男として、絶対なる主体圏に立つ者だ。それはどんな立場か。父子の関係だ。父子の関係。分かりました?
だから神の全体の愛を、個人に向ける愛、それから家族に向ける愛、氏族、民族、国家、世界に向ける愛。神の長男の子供として、すべての圏を超越したその基準において、代表的な愛を受ける資格をもって来られる者が何?(メシヤ)。だから、神の子供。神の愛する子供が生まれてきた。しかし、愛する子供一人で何になるか。子供自体は、その相対者を得なければならない。」
「相対者をどこから得るか。天上から得るんじゃない。堕落の結果地上で失ったんだから、地上で再創造しなければならない」
(御旨と世界)P.852
お母様はお父様について来ます。絶対服従すれば通ずるんです。何故かというと、エバがアダムを主管したのが堕落であるから、このあやまちから復帰きされるには、アダムに完全に主管されなければならない。しかし最前方に立って闘うのはアダムがやらなければならない。それは60数億の民を悩みの底に落しているのはサタンである。しかし天使長をしてサタンとならしめた、即ちそれを決定ずけたのは誰かというと、アダムである。エバじゃない。だからアダムが最後の決断をしなければならないという立場が、どこまでもある。だからこれを世界のはてまで追いよせてゆかなければならないというのが先生の使命観であるわけです。
「心情の境」 1967年6月12日
絶対服従とは、常に自分の観念がない立場です。存在しているという観念もありません。すべてのものを投入して、忘れるからです。無限の低気圧によって無限の高気圧が生じるようになっています。絶対無限の低気圧と高気圧が垂直の所に来るのです。そこで自然と一つになります。偉大な力がそこに生まれるのです。絶対投入して忘れることによって、無限の力が存続し始めます。
それはなぜかというと、投入して忘れるという観念には、投入して忘れる神様の愛の心情が連結されるからです。ですから、宇宙は消耗しないのです。
「絶対服従」という言葉の意味の中には、自分の意識がありません。意識がある限り、それは従順です。服従とは、意識がないのです。神様が創造されるとき、神様御自身が存在意識を忘れてしまわれ、絶対無の立場で、絶対真空の立場で投入されたので、絶対高気圧圏の愛の相対を探し出すことができると考えるのです。それは理論的です。
それで堕落した人間には絶対服従という命題を掲げるのです。神様は絶対的に大きな主体ですが、小さな主体がプラスとプラスで反発するのです。ですから、絶対主体であられる神様の前に完全否定していきなさい、マイナスになりなさい、このような意味の服従です。完全にマイナスになれば、一瞬のうちにプラスにぴたっとくっつくのです。それが天地の道理です。
「後天時代の生活信仰」より抜粋(167)
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