生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
万物に対して喜びと悲しみ、
両面を感じなければならない堕落人間
懐かしきエデン
『文鮮明先生み言選集第六巻』
神様が自ら造られた善なる万物の中でも、神様が一番愛されるものがあると同様に、皆さんも花ならば花の中で一番愛する花があるでしょう。そういう感情がないなら、その人は心情世界での不合格者です。「花の中で何の花、木の中で何の木を一番愛し、草の中でも何の草を一番好む」と言うことができなければなりません。それでこそ自然を恋しがる心が生じるのです。
私の生命が躍動すると同時に、その生命を抱いてあげることができ、自然を引き込むことができる心情の因縁をもっている人は志のある人であり、むやみに生きられない人です。
今日、私たちが見つめるこの自然はいかなる自然であり、自分が踏んでいるこの地はいかなる地でしょうか。悲しいことに、喜ぼうとして悲しむべき地になりました。
万物を見つめるとき、心に良いと感じられる反面、悲しい事情が残っている嘆息圏にある万物であることを感じなければなりません。景色の良い名勝地があり、そこを眺めて良いと感じても、無限に悲しい感情を感じて父とつなげることができる人になるべきなのが、今日の堕落した人間の立場です。
これから私たちは一握りの草をつかんで喜びを感じる代わりに、悲しんで泣くことができる自分になり、喜びを元に戻して一本の木をつかんで泣くことができる自分となり、山河あるいは万象を眺めても、深いため息をつくことができる姿にならなければなりません。それはエデンが恋しくなる心をもっているからです。そういう心情に浸っていらっしゃった方が神様であり、そういう心情の因縁をまだ抜け出すことのできない人間であるということを知らなければなりません。
そのような心情をもった人ならば、自然を眺めてもエデンを懐かしがることができます。「懐かしきエデン」と言うならば、自然も恋しくならなければなりませんが、またその中ですべての被造万物を主管することができる本然の人間も恋しがらなければなりません。
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