生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
自分を完全に否認せよ
御旨と世界P.209
不満というのは信仰者には許されない。信仰生活に入ったならば、自分の自覚を否認してしまえ。神を中心として完全否認されることによって、すなち完全に裁いてしまった、という結果になる。完全に清算してしまった、というのは完全に蕩減してしまったという結果になるよ。完全に蕩減したんだから、再創造される道ができる。
宗教の本質はこのような基準から、いろいろな経典はそういう結果的歴史において書かれているのだから、本質を知らない立場においてそれをなしていくにはこれはたまりきれない。現実に苦しい。理論的に整理されていない。これではやっていけない。
そういうことを思えば、神のために悲惨な犠牲をなしたなば、時来たならば、それ以上の価値圏に立たせる。祭物に対しては、神自体も頭を下げる。だからその条件によって、神もサタンも頭を下げるという結果になる。完全否認により完全再創造が可能である。だから、信仰生活においては文句を言うな。
あんたたちは、「もうできない」と言う。できるかできないかは死ぬまでやってみてから結論すべきことだよ。不平を言うのは、神を責めることだ。恩返ししなければならない人間の立場であるにもかかわらず、神に対してそういうことを言う立場には絶対に立つことができないのが我々人間である。
先生の今までの生涯がそうだよ。獄中に入れられても、拷問で血を吐き出すような立場に立っても、不平を言う男にはなれません。世界すべてが反対しても、サタン圏と緑が切れる、と思えば有り難いものだよ。怨讐圏がある場合には、一周するまで反対されるのが当然の道だよ。不平を言うな。 感謝せよ。黙々と行かなければならない。
苦しいとしても、それは一生だ。長くて百年にすぎない。この期間を克服することができないというのは、それは話にならない。いくらやっても神に申し訳ない。自分が自分を誇るという思いなどいくら研究しても見いだすことができないのが、我々堕落人間の信仰の道である。
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