生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
どれほど真剣だったか
み旨と世界 p572
ワシントン大会を決行しようとする過程において、様々な障害がありました。多くの人々が、「ワシントンでそのような騒ぎをするのは、ためにならないから取りやめてはどうか」と進言してきました。統一教会の幹部の中にさえ、「財政的にも技術的にも、困難が多いから、今ワシントン大会を行うことは不可能だ」と言う者がいました。
しかし先生は、断固として言いました。「これは先生の一生一代の勝負である。いかなる犠牲を払っても、成し遂げなければならない。私たちのもてるすべての力をこの勝利のために捧げなければならない。それは神のために捧げる供え物なのだ」と。
先生は、ワシントン大会は、レバレンド・ムーンのためのものではなく、神自体にとって、のるかそるかの大勝負であり、それだけに、先生以上に、神御自身が必死であることを知っていました。だから必ず神が働き、私たちはきっと成功するだろうということを知っていました。それが、その時の先生の確信となっていたのです。
1976年9月18日、大会が始まる前の先生の気持ちは、正に死刑囚が死刑を執行される日のように真剣なものでした。その数日前から朝食と夕食とを取り違えるほどに時間の経過すらも分からないほど、必死だったのです。9月18日の大会は、正に復帰摂理歴史上における最大の善悪闘争の時であり、統一教会の浮沈をかけた一大決戦でありました。これに勝利するためには、何としても神と霊界の協力が必要です。しかし神と霊界が働くためには、何よりも人間が命懸けで頑張らなければならないことを、誰よりもよく知っていましたから、先生はそれこそ真剣だったのです。
ワシントン大会を決行しようとする過程において、様々な障害がありました。多くの人々が、「ワシントンでそのような騒ぎをするのは、ためにならないから取りやめてはどうか」と進言してきました。統一教会の幹部の中にさえ、「財政的にも技術的にも、困難が多いから、今ワシントン大会を行うことは不可能だ」と言う者がいました。
しかし先生は、断固として言いました。「これは先生の一生一代の勝負である。いかなる犠牲を払っても、成し遂げなければならない。私たちのもてるすべての力をこの勝利のために捧げなければならない。それは神のために捧げる供え物なのだ」と。
先生は、ワシントン大会は、レバレンド・ムーンのためのものではなく、神自体にとって、のるかそるかの大勝負であり、それだけに、先生以上に、神御自身が必死であることを知っていました。だから必ず神が働き、私たちはきっと成功するだろうということを知っていました。それが、その時の先生の確信となっていたのです。
1976年9月18日、大会が始まる前の先生の気持ちは、正に死刑囚が死刑を執行される日のように真剣なものでした。その数日前から朝食と夕食とを取り違えるほどに時間の経過すらも分からないほど、必死だったのです。9月18日の大会は、正に復帰摂理歴史上における最大の善悪闘争の時であり、統一教会の浮沈をかけた一大決戦でありました。これに勝利するためには、何としても神と霊界の協力が必要です。しかし神と霊界が働くためには、何よりも人間が命懸けで頑張らなければならないことを、誰よりもよく知っていましたから、先生はそれこそ真剣だったのです。
1972年に先生が、アメリカに来てからこれまでの期間に、先生は世界的な規模で、万物、子女、父母を神に捧げる条件を立てることに成功しました。なぜなら、ニューヨークは全世界を象徴する所だからです。このニューヨークにおいて、土地や建物等の経済基盤と人材を復帰し、神に捧げたことは、世界的に、万物と子女を捧げた条件となるからです。また、全世界を象徴する供え物を捧げる条件とするために、ニューヨークにおいて投入されたお金と人材は、全世界の兄弟姉妹たちの血と汗と涙の努力によってまかなわれました。
そして、この供え物の最大なるものが、ワシントン大会の勝利だったのです。1976年9月18日は、復帰摂理において、正に全世界的な規模における「供え物の日」だったのです。ワシントン大会には、全世界の人類を象徴する、すべての人種が集まりました。そして、神がこの供え物を受け入れてくださるように心を合わせたのです。
このような意味でこの日は、復帰歴史上において、輝かしい勝利の日でした。全霊界が、勝利を宣言したのです。地上においても、神を愛するすべての人々が勝利を宣言し、祝うべきでありましたし、アメリカ自体が私たちと共に勝利を宣言し、祝うべきであったのです。しかし、アメリカはそれをなすことをしなかったのです。
大いなる供え物の日
み旨と世界 p571
1972年に先生が、アメリカに来てからこれまでの期間に、先生は世界的な規模で、万物、子女、父母を神に捧げる条件を立てることに成功しました。なぜなら、ニューヨークは全世界を象徴する所だからです。このニューヨークにおいて、土地や建物等の経済基盤と人材を復帰し、神に捧げたことは、世界的に、万物と子女を捧げた条件となるからです。また、全世界を象徴する供え物を捧げる条件とするために、ニューヨークにおいて投入されたお金と人材は、全世界の兄弟姉妹たちの血と汗と涙の努力によってまかなわれました。
そして、この供え物の最大なるものが、ワシントン大会の勝利だったのです。1976年9月18日は、復帰摂理において、正に全世界的な規模における「供え物の日」だったのです。ワシントン大会には、全世界の人類を象徴する、すべての人種が集まりました。そして、神がこの供え物を受け入れてくださるように心を合わせたのです。
このような意味でこの日は、復帰歴史上において、輝かしい勝利の日でした。全霊界が、勝利を宣言したのです。地上においても、神を愛するすべての人々が勝利を宣言し、祝うべきでありましたし、アメリカ自体が私たちと共に勝利を宣言し、祝うべきであったのです。しかし、アメリカはそれをなすことをしなかったのです。
このワシントン大会の成功は、実に大きな成果です。アメリカの歴史においても、1976年9月18日は、レバレンド・ムーンが築いた最も意義ある日として記録されることでしょう。先生が太平洋を渡ってアメリカへやって来た時は、全く孤独でした。しかし先生は、神に対して深く祈り、必ず勝利すると誓いました。それから3年半後に、見事に、なすべき責任を果たしたのです。
ワシントン大会の勝利によって、その後1976年10月4日を「天の勝利の日」と宣言し、さらに1977年2月23日には「天地の勝利」を宣言することにより、霊界と地上界のすべてが許され、解放されることが宣言されました。こうして新しい時代が出発しました。新しい天の歴史が出発したのです。そういう理由により、きょうの第18回目の「父母の日」は、極めて意義深い日となりました。
祝福家庭と食口の皆様へのメッセージ
真のお父様聖和4周年に思うこと
裁判問題・その勝利への道
ヤンキースタジアム大会40周年に寄せて
第2回訓読講義 アベル・カイン勝利的人格公式路程
第1回訓読講義 復帰の公式路程(1)
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