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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

【映像】愛勝日の背景  祭物の道

愛勝日の背景 


2016年10月1日 ニューヨークご自宅にて


み言

愛勝日の必要性

1984115日 ニューヨーク ベルベディア

 

 もし自由世界とキリスト教がレバレンド・ムーンに反対したら、どのような蕩減を払わなければならなくなるでしょうか。その蕩減条件はどこで誰が立てなければなりませんか。アメリカですか、キリスト教ですか。誰がそれを蕩減すれば良いのですか。レバレンド・ムーンを拒絶したことによって引き起こした負債に対して誰が責任をもたなければなりませんか。それは統一教会です。統一教会は彼らに対してアベルの立場にあるからです。ではアベルの立場は何番目ですか。三番目ですか、一番目ですか? (第二番目です)。

 統一教会においては、第二番目の立場にいる者がいつも犠牲的な立場で蕩減しなければならないのです。統一教会と先生の家庭が合わさって蕩減しているのを知らなければなりません。二番目が問題なのです。十三年前に、統一教会の三十六家庭の中の二番目の劉孝元協会長が病院で死んだのです。国家的次元においての三年路程を三十六家庭が蕩減しなければならない一番難しい闘いの最中のことでした。また、先生の息子の中で二番目の喜進様が、一九七〇年に伝道に行く途中で事故に遭ったのです。また、お母様が生んだ子供の中で二番目の恵進様が一九六四年に亡くなりました。その次に、二男である興進様です。このような一連の出来事は二番目がすべて蕩減したという、原理的な事実です。このような蕩減を払うことなくしては、復帰していくことができないということを知らなければなりません。理屈ではなく事実がそうなっているのです。原理は作り上げたというものではなく、歴史を導いてきた真の原則なのです。

 今回、韓国での勝共大会のために、先生は七十二カ国の学界の指導者を招待しました。世界平和教授協議会の七十二人の議長団はイエス様の七十二人の弟子を代表するものでした。彼らは最高の知識人たちであります。国家の首班までも指示することのできる、その国においては最高の立場にある彼らを、「韓国に来てください」と要請しました。何のためなのか理由は説明しませんでした。そこで彼らは何のためか分からないままに、とにかく行けば何だか分かるだろうと考えて、信仰をもってやって来たのです。
 

 シカゴで開催された「科学の統一に関する国際会議」に参加した彼らは、十一月二十九日にシカゴを発って帰途に就きました。先生は十二月三日韓国に向けて出発したのですが、その時空港で指示したのです。それを聞いた時、それらの学者のうち三分の一はまだ自分の国へ到着してもいませんでしたが、先生が北韓の獄中で十二弟子を見つけたのと同じように、信仰をもって韓国まで先生を慕って来た忠実な学者たちでした。

 韓国に来てから何をしたかといえば、共産主義を防御する世界的な宣言をしたのです。彼らがソウルの金浦空港へ着いた時、何のために自分はここに来たのか知らなかったのです。レバレンド・ムーンが、「来なさい」と言ったので来たのであって、何も知らなかったのです。そのような旅行がありますか? (笑い)

 学者にとって十二月は一番忙しい時です。しかし彼らはやって来ました。それは特別の人から来るようにと言われたことがその動機となったのです。

 十二月は誰にとっても忙しく、慌ただしい時です。韓国において、このような大会が十二月に開かれるというようなことは、これまで一度もなかったことです。韓国の政府も信じないし、ここにいる統一教会の幹部たちでさえ、「大会はいけません」とみな反対したのです。できると言ったのはたった一人、先生しかいなかったのです。統一信者が先生に対して信仰を保ち得なかったのです。韓国の幹部たちは、なぜ十二月に大会を開催すべきでないかを、あれこれと説明しましたが、先生はそれをすべて一蹴しました。先生は小さなノートを取り出して見せ、「この大会は神からの命令だとここに書いてある。だから必ず成功する」と言いました。

 今回の韓国における勝共大会は、歴史的かつ世界的なものです。これによって共産主義に対する全く新しい方向性が与えられることになったからです。韓国の既成教会は、レバレンド・ムーンが勝共大会を開催するということを聞いた時、統一教会に反対していた彼らは困ってしまいました。もし反対すれば、人々から「共産主義に賛成するのか」と言われるので、今回ばかりは、レバレンド・ムーンのすることに反対できませんでした。韓国政府も、この十二月に大会をするなんて大きな誤りだ、大きな体育館を借りたところで、半分はガラ空きになるだろう、15000名が集まる広場で、1500名か2000名くらいしか集まらなくて、レバレンド・ムーンが面目を失うだろう、と考えていたのでした。しかし大会が予想外に成功したのでショックを受けてしまいました。北韓の金日成政権を倒して、南北を統一することができるのは、統一教会とレバレンド・ムーンだけだと国民は知っていましたが、それを示すことになりました。

 光州は、勝共大会の開かれた最後の八番目の都市です。これがサタンにとっては、先生を攻撃する最後のチャンスです。サタンは何とかして先生が韓国で成功するのを阻止しようと必死でしたが、既に先生は、勝利を確保するすべての条件を立ててしまっていました。

 先生が韓国にいる間、日本とアメリカは韓国の動静に注目していました。このように、サタンの勢力が先生を攻撃する余地は全くなかったのですが、先生の子女たちは、統一教会の基準にあります。サタンの攻撃に興進様が相手になったのです。それをはっきり知らなければなりません。すべての大会が成功裏に終えようとする時でした。先生がちょうど講演の壇上に立つ時間だったのです。光州は、共産主義の地下組織が多く潜伏して、彼らに有利でした。当日、大会は十一時開会なのに、十時に会場の体育館は完全に超満員になってしまいました。共産主義者たちが入って来て活動する時間もなく、活動することもできないほどにいっぱいになってしまったのです。身動きもできないほどでした。工作隊員はあまり早く会場に到着して、人目につくようなことはしません。そこで開会の間際に会場に来たところが、光州の大会会場はもう既に超満員でした。そのようなことが自然に、先生を防御できる良い環境となったのです。

 

 

私は依然として厳格な父です

自叙伝 P.211

 私は依然として厳格な父です。今も変わらず、父である私以上にもっとよく天に仕え、人類のために生きる人とならなければならないと教えています。

 

 大抵のことには動じない妻でしたが、二番目の息子、興進の死に直面した時は、大変な悲しみを乗り越えなければなりませんでした。一九八三年十二月のことです。私は妻と共に全羅南道光州で開かれた勝共決起大会に臨んでいました。興進が交通事故に遭って病院に運ばれたという国際電話を受けましたが、二日間の公式日程が残っていたため、すぐに渡米することはできませんでした。公式行事の全日程を終えた後、ニューヨークに急行しましたが、病室に横たわった興進はすでに意識がありませんでした。

 

 坂道を加速しながら下ってきたトラックが急ブレーキを踏んで、横滑りして起きた事故でした。興進の車には親友二人が一緒に乗っていました。自分の命が危ない緊迫した状況の中でも、興進は急いでハンドルを右側に切り、自分の座る運転席がトラックとぶつかるようにして、助手席と後部座席に座った友人たちの命を救いました。事故現場の坂道に行ってみると、道路には、右側に急ハンドルを切ったタイヤの黒い跡がそのまま残っていました。

 

 結局、興進は、年を越えた一九八四年一月二日の早朝、天の国へと旅立ちました。ちょうど一月前に十七歳の誕生日を迎えたばかりでした。育てた子供を先に送り出す妻の悲しみは筆舌に尽くしがたいものでしたが、声を出して泣くどころか涙さえ流すことができませんでした。私たちは霊魂の世界を知っています。人の霊魂は命を失ったからといって埃のように消えてしまうものではなく、霊魂の世界に行きます。しかし、愛する子供ともはやこの世で会うことも触れることもできないということは、親として耐えがたい苦痛です。思いどおりに泣くこともできなかった妻は、興進を乗せた霊枢車を何度も撫でていました。

 

 

愛勝日の必要性

 

 先生一人を中心として見るとき、キリスト教が本来先生を受け入れることが神様のみ旨でありました。ユダヤ教とキリスト教の六〇〇〇年の摂理の目的は、先生を受け入れるための基台の準備でした。第二次大戦後、アメリカは世界を指導することのできる立場にありました。韓国はアメリカと完全に一体化していました。このような状況で、先生の二十代、三十代の若い時にキリスト教が反対しないで受け入れていたらどうなったでしょう。どうなったでしょう。その時に、「祖国創建」は成就されていたであろうと思いませんか? (はい、思います)。しかし、いくつかの大学を中心とする既成キリスト教会が、神のみ旨に反対したのです。神様は先生にキリスト教界が完全な接ぎ木をされることを願っていたのです。一度に世界的に接ぎ木できる道を整え、国までも合わせて接ぎ木しようとされたのですが、彼らが拒否したために、彼らは一番最後になったのです。

 

 それで先生はどこに行ったかといえば、先生は北韓の共産党の監獄に入ったのです。そこではみんなが死んでいきました。先生はイエス様の二年八カ月の路程を蕩減するために死なないで、獄中で霊界からの協助を得て、失った十二弟子を捜しておかなければなりませんでした。このようにして初めて、サタン世界から自由世界、神の世界へ到達することができたのです。出獄して初めて、サタンに奪われた自由世界の祖国を創建するための地を探すことができるのです。監獄に入って、失ったものをみなサタンから勝利して取り戻して来るのです。

 

 

一九八三年十二月十八日は意義ある歴史的な日となりました。先生は皆さんに、十二月十八日がどのような日であるか祈祷して、答えを先生に報告しなさいと指示したことがありますね。それはどういうことか分かりますか。

 

 十二月十八日は、先生がこの地上において忘れることのできない日なのです。人間世界の先生に対する背信を中心としても忘れることのできない日です。先生が監獄から出てきて、第二の出発基地に向かった時、信じていたすべての人々から背信された忘れることのできない日です。

 

 

 では真の父母はどうすれば良いのか、これが問題なのです。神の愛を歓迎し、地上の愛を歓迎する意味において、自分の息子を祭物として捧げたことを栄光と思い、誇りと思わなければなりません。

 

ですから葬式も悲しみで行ってはなりません。それで興進様が地上から(黒板を使い説明)ここを通る時に、先生は特別な霊界と肉界とを中心とした式を行いました。その過程の話は複雑ですが、すべての蕩減条件を成して、「愛勝日」という日を宣布するために、死体を前にして、神様の愛のために闘いをしたのであります。これは何の話かというと、母や父が、死んだ我が子を思うよりは、神様の愛をもっと思って、死亡圏に勝つことのできる時であるというものです。

 

 先生はあくまで神の摂理を中心として考え、行動します。それで病院で「統一式」を行いました。そして、この愛の勝利のゆえに、真の父母は本当に誇らしく思っていること、また、全霊界と地上界がそのために真の父母をたたえるであろうことを、神様に誓いました。この時、神様が見ても誇れる父母となり、霊界の先祖たちや、天使世界や聖徒、聖人すべてが誇ることができ、また地上世界の人々も、「なるほど、死亡圏を除去することのできる愛の権限をもっている方に間違いない」と、頭を下げることのできる勝利をしたのです。「愛勝日」とは、興進様の犠牲によって、真の父母が新しい基準に到達し、今後、その基準の上に前進して行くことを宣言した日です。分かりましたか?

 

 それゆえ、先生は、お母様に対して、「涙を見せてはいけない。今は涙を流す時ではない。神様と人類にとって栄光の時なのだから……。私的な場所では母親として涙を流しても構わないが、特に葬儀の時間は、公的場であるから涙を見せないように……」と言ったのです。そのような時間があったことを知っていなければなりません。それゆえ、民族的、世界的な新しい愛の方向を立てることができたので、「愛勝日」という日を宣布したのです。

 

 一九八四年一月三日、午前四時に、先生は「愛勝日」を宣布しました。

 

 この「愛勝日」の期間は、死んだ息子を側において、結婚式をする時以上の喜びの心情をもって神様を愛するという、心情圏を勝利せずしては越えることができないのです。それで先生は、興進様の葬儀の間は一滴の涙も流しませんでした。


 愛勝日の必要性全文はこちらよりご覧ください




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