August.4.2015 今日の訓読のみ言
その末路が悲惨ならばどうなるでしょうか
「福地は呼んでいる」 一九六六年三月十三日
皆さんがはっきり知らなければならないことは、皆さんのその立場が福地の叫びの前に背く立場ではなく、皆さんの歩みが福地の泣き叫びの前に背を向ける歩みではないのか、ということです。これを固く肝に銘じなければなりません。
皆さんが行くべき最後のゴルゴタの道とは、どこでしょうか。皆さんの職場でも家庭でもありません。皆さんは過ぎた歴史時代のその基準を中心として歩むべき運命にあるのです。しかし、皆さんは昔、祭祀を行った祭司長やイスラエルの一族と同じ立場で消え去ってはなりません。そのようになると、この世界を踏み越えることはできません。皆さんの視線を他の何に向けてもなりません。皆さんが生まれたのも、皆さんが生きていくのも、ただ最高のその一つの目的だけのためであることを知らなければなりません。
敗北し、ふらつく人を見ると「ふらふらするようなら早く滅びろ」、「もし私がそんな立場に立てば、寝ないで相手を打ち負かすための準備をするだろう」と言うでしょう。皆さんは自ら自覚し、自ら衝動を起こし、自分を刺激して進むことのできる人にならなければなりません。
皆さんは今どこにとどまっていますか。あなた方は統一教会にとどまろうとしてはなりません。そのような人は真の統一教会員ではありません。皆さんは、きょうはどこに行って何をするのかを考えなければなりません。
先生がいつか「太平洋に壁を造って遮ろう」と話しました。そのような話をしたのも、すべて一つの目的に対する一念から出てきた話であるということを皆さんは知らなければなりません。
統一教会についてきながら、今まで試練と曲折を経てきたのに、その末路が悲惨ならばどうなるでしょうか。自分自身と自分の子供を中心として嘆くそのような群れを見て、神様が嘆かれるのです。
神様は願っていらっしゃるのに、皆さんが自嘆する場にいるならば滅びなければなりません。もし滅びないならば、先生が殴ってでも滅びるようにするでしょう。このような覚悟と基準をもっていかなければならない人々が、統一の役軍であるということを知らなければなりません。
福地は呼んでいます。神様は六千年前からアダムが成せなかった福地を築く中心人物を探して立てましたが、まだ人間はその福地を築いていません。私たちの先祖もこういう復帰の道を歩んできたのに築くことができず、数多くの聖人、賢哲たちもこの目的に向かって苦闘してきましたが築き上げることができませんでした。
イエス様もこの地に来られ、この目標に向かって新しい文化世界を願いましたが、成し遂げることができませんでした。しかし、その世界はいずれにせよ成されなければなりません。万一成されないならば、堕落した世の中はこのまま続いていくようになり、神様が成そうとされる新しい世界は、結局この地上に築かれないでしょう。
それゆえ、私たちはその世界を成し遂げるのだという抱負を抱いて歩まなければなりません。このような私たちが、どこかで安らかに休むことができるでしょうか。私たちは死亡の峠を越え、また越えていかなければならないのです。越えていかなければならないその谷間は、ゴルゴタです。私たちはそこで戦って勝利したのち、再び一つの峠を越えなければなりません。ところで、再び越えようとするならば、新しいことを創造しながら越えていかなければなりません。勝利することが問題ではなく、再び収拾して神様の世界をどのように作り出すのかということが問題です。
そのために皆さんはまず、真理を探し出さなければなりません。堕落することにより真理を失い、霊的なすべてを失い、心情を失ってしまいました。
皆さんがもっている理念は、世界の何かが引っ張っていこうとしても引っ張っていくことのできない理念です。サタンがそそのかし、もてあそんでも、そこに引っ張られず、譲ることのできない理念です。それゆえ、イエス様もはっきりとサタンと悪に対しては、断固として立ち向かったのです。
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