父の祈り 信仰編 (1959/2/22)
選民の権限を誇り、選ばれた民であることを誇りながら、祝福圏内に生きたイスラエルはどこに行ったのかと嘆息なさるお父様の悲しい涙が、この地に残っているということを私たちは知っています。お父様が4000年の間、歴史的な悲しさに耐えながら、選んだイスラエル民族をつかんでこられたのは、メシヤお一人をお送りになるためであったにもかかわらず、彼らはメシヤをほうっておき、サタンの懐に抱かれたがゆえに、それを見つめておられたお父様の悲しさは、その時だけの悲しさではなく、億千万年歴史の悲しさとして残されたという事実を知るものです。
当時、選ばれたイスラエル民族はこのような事実を知ることができなかったということを私たちが回想するとき、きょう体をかがめ、心を整理して歴史的な犯罪性を暴露し、その歴史的な罪悪を身代わりして悔い改めるべき責任が私たちにあることを、私たちは悲しく思わないわけにはいきません。
イエス様は天の物悲しい心情を抱き、倒れていく民族を訪ねてくださり、彼らをかわいそうに思い、自らの生命をも惜しまず、彼らを訪ねてくださいましたが、選ばれた民族であると自称していたイスラエル民族は、天がお送りになったメシヤと準備された洗礼ヨハネを、自分たちの勝手に扱い、歴史的な悲しみの陰に隠してしまったという事実を、今日、私たちは知っています。
きょう、ここに集ったあなたの息子・娘たちをして、その時のイスラエルの人々が私たちよりも劣っていて天に背反したのでなく、天のために生きる心情が私たちよりも劣っていて天を忘れてしまったのではなかったことを知るよう許諾してください。
新しい時代に対する希望が足らず、新しいメシヤの理念を持ってこられる主の姿が大きいだろうと思っていたのに、いざ現れたメシヤが、あまりにも悄然(しょうぜん)としてかわいそうで、小さな姿であったがゆえに、彼らが排斥したのだという事実が分かるよう許諾してください。
今、私たち死体がどのような立場に置かれているかを察するよう許諾してくださり、今日、私たちはよく歴史的なイスラエル民族を誹謗(ひぼう)し、当時の事情を批判することがありますが、その時の事情や今日の事情に差がないことを知るようにしてください。
私たちがその時にいたなら、彼らと同じ群れであったことでしょうし、私たちがその時代にいたなら、彼らと同じ立場にいたであろうことを自認する心を持つようにしてくださり、そのような歴史的な罪の痕跡(こんせき)をもっている自らだということと、サタンの魔の手が私たちの体をにらんでいるということを知るよう許諾してくださますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。