生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
み言に対する私たちの姿勢
御言訓読と霊界動員
み言で造られた人間が、み言を失ってしまったので、み言で再創造しなければならないのです。それは、神様の愛のみ言、神様の生命のみ言、神様の血筋のみ言です! (198-30、1990・1・20)
原理は何よりも貴いものです。皆さんは、このような原理を、御飯を食べることよりも、服を着ることよりも、寝ることよりも貴く思ってみましたか。絶対視して、何よりも貴いものとして信奉すべきでしたが、そのように生きることができなかったのです。ですから、皆さんは悔い改めなければなりません。(210-181、1990・12・19)
毎日のように霊的な呼吸をしなければなりません。御飯を食べるのと同じように、み言に接していなければならないのです。御飯を食べるより、もっと重要視しなければなりません。み言を重要視するのです。それこそ、皆さんが天国に行ける道です。 (226-284、1992・2・9)
誰でも毎日、朝昼晩の御飯を食べなければなりません。しかし、それよりも貴いものは、霊的糧であるみ言です。御飯を食べることよりもみ言を貴く感じながら、どれほど自分の霊的体を育てたかが問題です。(281-236、1997・2・14)
神様のみ言はみ言、自分たちは自分たち、これではいけません。私たちは、神様のみ言の実体にならなければならないのです。神様の内的心情が、私たちの内的心情にならなければなりません。すなわち、本心の実体にならなければならないのです。 (3-329、1985・2・2)
真理は、実体化されなければなりません。真理は、生きている人間の中で存続して完成されなければならないのです。そうでなければ、真理はサタンに奪われて、誤って利用されることがあります。ですから、先生は、すべての条件が造成され、真理がある線まで実体的に具現されるまでは、新しい真理を明らかにしませんでした。 (91-101、1977・2・3)
神様のみ言は、そのみ言が下される先々で善の実績が現れ、復活の役事、再創造の役事を起こさせるものです。ですから、私たちは、悪を清算し、復活の役事を起こし、再創造の権能を行使することができるみ言をもった人にならなければなりません。このようなみ言をもった人たちが集まって暮らす所、そこが天国です。 (3-34、1957・9・15)
イエス様はサタンに、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」(マタイ四・四)と言いました。事実そうです。先生は、今まで労働しながら生きてきたのですか。お金で生きてきたのですか。そのどちらでもありません。神様のみ言をもって生きてきたのです。それでも滅びませんでした。(47-197、1971・8・28)
最初は、み言をもって信じる時代であり、その次は、み言をもって実践する時代であり、その次にはみ言を中心として生活する時代です。生活時代に入っていくのです。天国にしようとすれば、これがすべて一致しなければなりません。信仰の時代、実践の時代、生活の時代、このように発展するのです。(74-319、1975・1・1)
霊界は、み言を中心として生活する所です。毎日の生活のすべてがみ言によって動く所が霊界なので、地上でそのような訓練をしなければなりません。み言が嫌いな人は、御飯を食べてはいけないというのです。この世の御飯よりもおいしく食べなければならないのが霊的な糧です。霊的に永遠な糧である以上、永遠に続く味を私たちの制限された地上生活から訓練されなければなりません。(296-217、1998・11・10)
各文章の末尾にある( )内の数字は、基本的に原典 『文鮮明先生マルスム選集』の巻数とそのページをあらわします。
ただいまコメントを受けつけておりません。
既にLINEに配信されてる方は上記【LINE紹介】タブをクリックして手順に従って友達に紹介ください。