生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
アダム家庭は死んでいません
絶対信仰と絶対愛より抜粋のみ言
1994年10月9日 韓国・中央修練院にて
皆さん、原理のみ言、アダム家庭ならアダム家庭は死んでいません。生きています。失敗というのは、死んだ失敗ではなく、生きた失敗として残っています。神様は、このような失敗したものを生きた標本として、勝利的基盤を築かずには、天国に入ることのできるヤコブの家庭、モーセの民族、イエス様の国家摂理があり得ないというのです。再臨主も同様です。みな生きています。原理を勉強すれば、アダム家庭は私たちの家庭と同じなのです。
ノアも同様です。いつノアと同じ信仰を持ったことがありますか? 一二〇年の間、アララテ山の頂上に船を造る狂った人がどこにいますか? 船を造ろうとすれば、川辺につくればいいではありませんか? ですから、どれほど反対を受けたでしょうか? 狂人と言われるのはもちろんのこと、さまざまなうわさを聞き、さまざまな迫害を受けるようにさせたのです。東西南北に見えるすべての山の微々たる動物までも、「あのようなぼけた人、あのような狂人じいさんがどこにいるのか」と、後ろ指を指すようになっているのです。
全部が無視する立場で、神様は生きているという権威を立てたのが、ノアの時の審判だということを考えなければなりません。
皆さんがそのような信仰を持ち、統一教会を信じ、統一教会を立てるために努力しましたか? ノアは休みながらやったのではありません。雨が降ろうが、雪が降ろうが一二〇年の間、すべての万物を収納させる船を造らなければならなかったのです。その村で寄付でもしてくれたでしょうか? 狂った老人だといって、けなしたのです。
アブラハムも同様です。神様がアブラハムをカルデアのウルから導き出しました。アブラハムは偶像商の長男として、自分の家を出るとき、その神様の命令を信じることができたでしょうか?
信じられないものを信じて出てきたのです。後には、神様はアブラハムに、「イサクを燔祭に捧げなさい」と言ったのです。アブラハムに「あなたの子孫を天の星のように、地の砂のように繁栄させよう」と祝福したのに、一〇〇歳の時、生まれた息子(イサク)を裸にして「祭物にして捧げよ」ということは何という命令でしょうか? 狂ったことです。誰が信じられますか?
信じられない立場で、信じることが基盤になるのです。なぜでしょうか?
堕落が信じることのできる立場で信じられなかったので、信じられない立場で、信じなければ天に対する信仰の芽が生じません。それが伝統的な信仰世界で、神様が摂理する転換時代の公式になっているということを知らなければなりません。
アブラハムが祭物を裂くことにおいて、失敗しませんでしたか? それ(裂くこと)が何でもないと思ったのです。皆さんも、先生のみ言を何でもないと思ってはならないのです。歴史的な宣言です。祭物を裂くこと以上に価値ある先生のみ言を、どれほどこぼしてしまったことでしょうか? そのみ言が皆さんに、千年、万年の讒訴条件として残されているということを知らなければなりません。
アブラハムが、小さなハトを裂かなかった失敗によって、天上天下にない摂理を中心とした、サタン世界と分立的な勝利の覇権(主義)を取り戻してくる、神様のみ旨を、誤ったのです。ですから、そのみ旨の前に今、自分たちが、
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