生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
アベルが責任を果たせば、カインはアベルを保護する
摂理から見たアベルの正道より抜粋 1979年12月30日
皆さんは、信義の人になったのですか、心情の人になったのですか? 天の国の理想をもった人になったのですか? 知ろうと知るまいと、伝道の志を立てたならば、対象者が従順屈服するようにもっていかなくてはならないのです。このように、アベルの伝統歴史がいかに難しいか知らなければなりません。
仮に、先知者たちが地上に送られる時、世の人々から歓迎されることが約束されていたとしましょう。先知者は王の座で、あるいは出世の道で称賛を受けるものと喜んだのですが、実際は違う結果となり、考えもしなかった厳しい 現実に直面した時に神様が信じられなくなり、「本然の愛も天の理想もみな 疑わしい」と言うような先知者は、本物の先知者でしょうか? (いいえ)。
アベルは、そのサタン世界の底辺に住む僕のような人たちに仕えるようにして、感化させなくてはならないのですから、僕の歴史にいま一つの僕の歴史を積み重ねなくてはならないのです。しかしその場合、サタン世界の僕たちと、天の世界のアベルのどちらがより悲惨な道を歩んだのかを問われる時に、アベルがアベルとして認定されなくてはならないのです。その時にサタン世界の僕たちは、「何の希望ももてないどん底の中にあっても、あなたは希望を捨てることなく、力強く私を支えた」と認めるのです。アベルは「いかに耐え難い時も、信義の理念をもち、愛の心情をもち、天国の理想をもっていたから、最後まであなたを信じて尽くすことができました」と、言えるのです。そこで「地上で自分の生命も惜しまず、愛と理想をもって犠牲的に尽くしてくれたのはあなたしかいません。私は誰よりもあなたを信じ、国よりも世界よりも、あなたのために尽くします」と、なるのです。その認められた事実でもって、初めて「自分はアベルであり、あなたはカインである」と言うことができるのです。アベル・カインの関係はその時から始まるのです。アベルにはカインがいなくてはならないのです。カインは兄さんです。
そのようにアベルが責任を果たすことによってカインが、「あなたは私の後ろに立ってください。サタン世界のみ旨は私が引き受けます」と言って、先頭に立って戦うようになるのです。その時点からカイン・アベルが成立するのです。そして、「私のすべての財産と、すべての所有物をあなたの仕事のために捧げましょう。私の体が犠牲になっても構いません。私がみ旨の先頭に立ちます」と言えるのが、カインです。そうすることで天の国に行くことができるというのです。
カインはアベルの面倒をみなくてはなりません。兄さんが弟をみてあげるのが天のカインの道理ですから、弟を保護する運動が起きてくるのです。エデンの園では、カインがアベルを保護しないで殺してしまったのです。反対になってしまったのです。
このような原則があるにもかかわらず、今日の統一教会の信者の中には、自分は不信仰であろうと、不心情であろうと、不天国であろうとどうでもよく、「ただ先に入ってきたからアベルであり、お前はカインだから屈服しなさい」と言う者がいます。そんな法がどこにありますか! アベルが寝る時間が短いと不満をもらしたり、仕事もこなせず、実績も上がらず、全体の犠牲にもなれないとすれば、いったいどうなるでしょうか、皆さんもそのようなまねをするのですか?
天国に入る時にはカインが、「私が先に入ることはできません。あなたが先に入ってください」と言わなくてはなりません。
天の父の前に進む時には、弟が兄さんの位置に立たなくてはなりません。
では、それを誰が決定するのかというと、アベルが決定するのではないのです。カインが決定しなくてはならないのです。
「統一教会で、自分はアベルだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それでは、「自分は統一教会のカインだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それならば弟のいないカインがいるのですか? アベルがいなければカインもいないのです。カインとアベルの決定は、「お前はカインになり、私はアベルになる」と言って、互いに約束すればいいのです。「私が兄であり、私は弟になる」。こういうふうにです。
では、アベルとカインを結ぶ力の中心は何でしょうか?
不動の中心がなくてはならないのです。それが何かというと、信義と心情と理想です。
皆さんにアベルはいますか、カインはいますか? カインとアベルはなぜ必要なのですか? 「私はこのアベルが嫌いだ」「カインにばかり仕事をやらせて何だ」。(笑い) どうして笑うのですか、本当のことでしょう。カインなんか煩わしい、みんな蹴ってしまえばいいじゃありませんか? (いいえ)。
なぜ「いいえ」ですか、カインがいかに煩わしい者か知っているのですか? カインはこう言うのです。「統一教会はいいのだが、アベルというのは嫌いだ、あのような者が何だ。あれがアベルなのか」と。
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