今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

イエス様の道(2月24日)

Feb.24.2020 今日の訓読のみ言

イエス様の道

血統的転換 19701013日 韓国 水沢里

 そういう(血統的転換)基準をイエス様は願ってきたのだから、イエス様一身においてそれを成すのに、三年の公生涯に立つ前に宣布したのはなぜかというと、すべての者は誰よりも我を愛せ、妻よりも、親よりも、子供よりも、誰よりも我を愛せ、愛せざるものは自分の弟子にはなれない、ということであった。それから自分の弟子になるには自分の十字架を背負って自分に従え。自分の十字架というものは、自分が背負わなければならない。血統を清めるのはメシヤがするかもしれない。しかし、清められるように行動しなければならない。そこに一体となって従わなければならない。この基準が成せない以上は、我々は救われない

 

 それが清められるには、どういう立場でかというと、死ぬか生きるかの、その境地を通過しなければ清められない。生死の境だね。そこを基準として悪の血統が清められていく。これを清めるには、我々が話し合って、気持ちで解決できるものではない。その場に行かなければならない。四十日の断食祈祷とか、死の境地をたどっていくんだね。血を吐いて、生命よりも、この肉体の生命よりも神の愛を中心として、よみがえるその一心を慕いながら、この一心に讒訴される一つの負債も残らなかったという、その境地をいかにして体恤して乗り越えるかということが、イエス様において、第一の戦いであった。これは理論的にそうならなければならない。生死の境を通過しながらも、一心不乱、内心で願うのは神の愛と自分の体が一つにならなければならないということであった。これは鉄則だ。ここに一つも許されるものはない。

 

 イエス様はそういう決心をして、そこまでいったとして、自分の勝利圏は成したかもしれないけれど、それを歴史的にいかに関係をもった勝利圏と結合させるか、これが問題だ。自分個人にとっては、神につながる勝利のものになるかもしれないけれど、歴史過程に、摂理上において、今までこのような血統転換をもってして、神の摂理したすべての過去において失敗したその悩みを、いかに自分が受け継いで勝利した基盤に立つかということが問題である。それを完全に受け継いだという基準に立たなければ、メシヤとして立つことができない。それを神はあらかじめ知っておられるのだから、その方法を歴史を通してずーっとやってきた。

 

 そうするとこの血統の転換はどこにおいて成されるか。一身においては、生死の境を通過しなければならない。これは信仰の基準になる。一身においては生死の境、死ぬか生きるかの境を抜き出るような立場で、神を愛し、未来の人格を愛さなければならない。

 

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