今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

イエス様は真なる息子の使命を果たしたのか(12月6日)

Dec.6.2021 今日の訓読のみ言

イエス様は真なる息子の使命を果たしたのか

真なる人と罪  一九七三年八月五日

 『文鮮明先生み言選集第六十八巻』

 

イエス様は「神様の息子だ」と言いましたが、神様はイエス様を愛することができませんでした。十字架にかかって死ぬようになりましたが、なぜ死の場から引っ張り出して保護してあげられる息子になれなかったのでしょうか。これが蕩減路程において、いまだに罪から脱け出すべき運命に立っているために、真なる息子の立場に立てなかったために、彼を解放させられない神様になったというのです。ですから、イエス様が死ぬとき、背を向けなければならなかった事実を、私たちはここから知ることができるのです。

 盲目的に無条件に信じてはならないのです。神様が本当に世の中に一人しかいない息子として送ったその息子が死ぬのに、なぜ背を向けるのかというのです。全く、そのような父母がどこにいますか。私たちが、そのような父母を信じていて天国に行けますか。保障されますか。イエス様の願いさえも成してくれないのに、イエス様のその切実な祈祷さえも聞いてくれないのに、息子を死の場に送り出したそのような立場に立った神様を、私たちが信じ、「天国に行こう」と言うことができますか。

では、なぜそうしたのでしょうか。ここには私たち人間が知らない内的段階が多くあったからです。病気になった人を手術して、生かそうという人は、その病気になった人を手術するにおいて、誰よりも病人を愛さなければなりません。今まで病気になって、腐っていくこの罪悪の世を完全に救うために責任を負った立場、すなわち、救いの荷を負った立場に立ったので、救いの使命を果たす前には、神様の愛を受けられないのです

 ですから、イエス様は神様の愛を受けられずに逝ったというのです。イエス様が神様の愛を受けたなら、あの村この村へと追い払われるでしょうか。家庭から追われ、村から追われ、国から追われ、教会から追われるでしょうか。神様がそのようにしたでしょうか。真なる息子は神様の愛を受けなければなりません

 このような観点から見るとき、今日、この世に神様の真なる息子がいたのかというのです。「私は間違いなく神様の真なる息子である」と思える人がいますか。歴史的に複雑な内容がジグザグにからまったものを解き、それをみな是正する前には、真なる息子が現れないというのですそのように複雑だというのです。

神様はたくさんの能力をもっていらっしゃいますが、もつれたものをそのごとくに解いていかれる立場におられるのです。しかし、それを解くにおいては、神様が解くことはできないのです。人間が解かなければなりません。人間が解かなければ神様のみ旨が成されません。それゆえ、神様のみ旨が成されない立場では、愛する人をも身代わりに蕩減の祭物にして、それを延長させる作戦をしていくのが神様の摂理の延長なのです。

では、神様が見たいと思う人は真なる男性ですが、神様が本当に真なる男性に一度出会ったことがあるでしょうか。出会えなかったのです。新郎になろうと身もだえして死んでいったイエス様に出会っただけです

イエス様はこの地に来て、神様の愛を受ける息子として、エデンの園で堕落しなかったアダムの立場を身代わりして、エバのような妹をこの上なく愛することのできる、兄弟をこの上なく愛することのできる立場に立つことができなかったというのです。

 お母さんと弟たちが弟子たちの前に来て、イエス様と会おうとするとき、弟子たちが報告するのに「先生の兄弟たちとお母さんが来て探しています」というとき、イエス様は何と言いましたか。 「私の母と兄弟はどこにいるか。神様のみ旨のとおりに行う者が私の母であり、兄弟である」と言いました

皆さん、無条件に信じてはならないのです。イエス様が兄さんになりたい気持ち、兄さんの愛をもってはいましたが、神様が喜ばれる立場で愛することができなかったのです。イエス様には妹がいたはずです。けれども、愛することができなかったのです。弟妹たちを愛することができなかったのです。愛したかったけれど、愛を与えることができないうえに、受けることのできる弟妹になれなかったというのです。

それから、兄弟を愛したのちに、アダムが行くべき運命の道はどのような道でしょうか。夫婦でしょう。神様の愛を根こそぎ独占したのちには、彼以外には誰も愛することのできないただ一人として、霊肉を標準として、永遠の愛を契約することのできる、真なる夫婦として愛することのできるそのような家主にならなければならないのです。しかし、イエス様はそのような家主になれませんでした。

 

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