今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

サタンの本質は(6月19日)

Jun.19.2020 今日の訓読のみ言

サタンの質は

我々は行かなければならない」忠孝の源229

 

 はサタンの血統をとり除くためには自分のもってる血気自分を中心としたいかなる血気を持てはいけない、サタンの本質は高慢なる本質である。自分を中心としてすべてを統轄しようとする本質である。だからそれに反する本質をもたなてはならない。我々は素直なる従順なる質を持つ。そうするとサタンがその本質って我々を自分のものするには我々の後について、自分の本性の踏み場をはずさなけれないるとサタン屈服せざるを得な。サタンは自分を中心としてすべてをっ張りたがる。

 

 すべも、社会も、神をさておいて、善る位置をさておいて、自分にみな中させようとする。はどう方法をとというと、自から下ヘ、反対の方向ヘ行こうとている。自分を中心として皆集めるのが悪であり、自分のものを全て捨てて、人のために公のために捧げるのが善である。方向が反対になっている。

  

 だからサタンの行く道と神の行く道の別れめに立つ我々の生活圏にい善悪の基準は何かというと、善は自分を中心としたすべてを牲にするよう、自するあらゆるをみな捨ててしまい、与えてしまう立場であり、は自分を中心としてすべてを引きつ立場である。

 

 悪は先に打つ。善は打たれるものである。だから一次大戦も先に打った方が負けた。第二次界大戦の時も打っ方が負け。だか打たれせよ善は先に打つものではない悪が先つものである。ここにおい地が分かれてくる。

 

 はサタンの血統をとり除くためには自分のもってる血気自分を中心としたいかなる血気を持てはいけない、神をとしての血気はいいというのです。公のために我は犠牲いうのと反対に、公を犠牲にし自分のためにこれは悪である善悪の境目ははっ分かれる。だから愛するのも自のために愛するのではなく、家のため、世界のため、神のために愛する。自分自身を尊ぶのも、自分自体をびたからではな世界の中心たる存在の自だからだからの世界らゆる人々の生活観と、神願う復帰合の生活観とは根本的に違っている。そういう道を我々は打開しゆかねばならない

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