今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

サタンの本質は(6月21日)

Jun.21.2019 今日の訓読のみ言

サタンの質は

「我々は行かなければならない」  忠孝の源229

196779日聖日説教 於・大阪教会

 

 はサタンの血統をり除めに自分の血気自分を中心かなる血気を持はいけない、サタンの本質は慢なる本質である自分としてすべて統轄しようとする本質である。だからそれに反する本質をもたなてはならない。我々は素直なる従順なる質を持つ。そうするとサタンがその本質って我々を自分のものするには我々の後について、自分の本性の踏み場をはづさなけれないるとサタン屈服せざるを得な。サタンは自分を中心としてすべてをっ張りたがる。

 

 すべも、社会も、神をさておいて、善る位置をさておいて、自分にみな中させようとする。はどう方法をとというと、自から下ヘ、反対の方向ヘ行こうとている。を中心として皆集めるのが悪分のものを全て捨てて、人のために公のためにげるのがである。方向が反になっている

  

 だからサタンの行く道と神の行く道の別れめに立つ我々の生活圏にい善悪の基準は何かとい うと、善は自分を中心としたすべてを牲にするよう、自するあらゆるをみな捨ててし まい、与えてしまう立場であり、は自分を中心としてすべてを引きつ立場である。

 

 悪は先に打つは打たれるものである。だから一次大戦も先に打った方が負けた。第二次界大戦の時も打っ方が負け。だか打たれせよ善は先に打つものではない悪が先つものである。ここにおい地が分か れてくる。

 

 はサタンの血統をり除めに自分の血気自分を中心かなる血気を持はいけない、 とし血気はいいというのです。公のために我は犠牲いうのと反対に、公を犠牲にし自分のためにこれは 悪である善悪の境目ははっ分かれる。だから愛するのも自のために愛するのではな家のめ、世界のため、神のために愛する。自分自身を尊ぶも、自分自体をびたからではな世界中心たる存在の自だからだからの世界らゆる人々の生活観と、神願う復帰合の生活観とは根本的に違っている。そういう道を我々は打開しゆかねばならない

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