今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

メシヤたる者はいったい何者なのか (4月13日)

               


             「全体蕩減」 御旨と世界 P.852856

 宗教圏内には、再臨思想がある。再臨思想、つまりメシヤ思想が残っている。メシヤたる者はいったい何者なのか。神様の一番愛する者がメシヤだ。では、どういう立場が神の一番愛する立場か。神様から送られるメシヤを神様は愛するのに、いかなる位置において、いかなる立場において愛すべきか。神様の前に立つ者はいろいろいる。国を代表した者もいるだろう。あるいは社会を代表した者、あるいは団体を代表した者、いろいろな代表の男がいる。メシヤたる者はいったい、神の前にどういう男か。神もそういう者が必要だね。しかし、メシヤたる者はいかなる者か。メシヤは、ただ一つ、神の内心にあったその愛があるとすれば、その愛の全体が集結したその愛、方向を固め、出発点を同じくして、一致した方向のその愛を、総合された愛を受ける最初の者である。その者とは何か。神の前に初めて生まれた長男。長男だね。分かりました?
メシヤとは何かというと、神の愛の前に初めて生まれた、神の愛の前に立った、初めて神の長男としての愛を受けるそういう立場に立った者がメシヤだ。だから、イエス様もそういうことを言ったんだね。イエス様はひとり子、一人息子である。ひとり子、息子であるというのは、全体の愛を受けることである。始めから終わりまでね。神が絶対なる主体となれば、(メシヤは)男として、絶対なる主体圏に立つ者だ。それはどんな立場か。親子の関係だ。親子の関係。分かりました?だから神の全体の愛を、個人に向ける愛、それから家族に向ける愛、氏族、民族、国家、世界に向ける愛。神の長男の子供として、すべての圏を超越したその基準において、代表的な愛を受ける資格をもって来られる者が何?(メシヤ)。だから、神の子供。神の愛する子供が生まれてきた。

  しかし、愛する子供一人で何になるか。子供自体は、その相対者を得なければならない。相対者をどこから得るか。天上から得るんじゃない。堕落の結果地上で失ったんだから、地上で再創造しなければならない。それで地上において宗教は何をやったかというと、天がプラスと言えば、地はマイナス。だから、天に向けてメシヤを願う。愛の主体者を願うところは神様ではなくして、この地球だね、人間世界だね。主体の愛を願うんだ。その思想がメシヤ思想だ。

  メシヤを迎えるために、世界版図を拡大して、個人の環境を超えて、氏族の環境を超えて、国家環境、世界圏につながるようなそういう基台を拡大しよう。拡大して、世界全体がその主体の神の愛の男の前に一つになる。何も反対する者がない。絶対服従する。自分自体はもう存在しない。ただメシヤのために存在するというようなそういう雰囲気を世界的に準備しようとするのが、旧約時代、新約時代の使命だ。こうなれば、簡単になるんだね。旧約時代、新約時代の使命は何かというと、地上にその相対者を求めてくる。そのメシヤの前にエバをつくる。絶対服従するエバ圏の拡大を成し得て、その反対する者のない立場で、愛の主体にその一点で結ばれれば、自動的に全体が結ばれる。そのような環境、世界的環境をつくろうとするのが、旧約時代の使命であり、それから新約時代の使命であった。そうなると、今のキリスト教、ユダヤ教はメシヤに完全に服従すべきである。

  しかし、今まで、信仰してきたクリスチャン、信仰してきたユダヤ教の人たちは、メシヤが来た場合には、すべてを捧げる、完全に服従するというような信仰観念をもつべきなのに、今のクリスチャンはどうだ?今のユダヤ教はどうだ?神の願う伝統精神から見た場合に、これは一八〇度違う。まるっきり反対だね。地上に来られるメシヤはともかく、神の摂理の勝利圏はともかく、自分が地上において成功すればいいと、こういうような考えをもつ宗教は、最後になれば神にやられる。最後になった場合には、この地上に影も形もなくなるように打ってしまわなければならないのが神の立場である。

  だから、そういうキリスト教や宗教は、末の時期になったら完全にやられる。天の鉄槌に打たれる。理論的だね。こういうような、その末の時期に、世界のクリスチャンは、「ああ、メシヤ、主様……」と再臨を願う。その願う内容を分析してみると、「ああ、自分が救われたい」。神の勝利圏については何も思わない。自分が天国に行きたい。自分の家族が救われたい。自分の国。

自分の国以上、それは限界である。みんな国を越えて世界の果てまで、霊界まで拡大すべきなのにその限界を縮小して、自分自身、自分の国以上拡大できない。これは、サタンの作戦においては成功した作戦だ。この基準が残っている以上は、神の世界は生まれてきません。分かりました?  先生が願っていたのは何か。こういうような天的摂理の全体観を中心として立つ時、キリスト教はメシヤの話を聞かなければならない。「それを聞くか否かにキリスト教の生死がかかっている」ということを誰が信じるか。それは、まさしくそうだね。信ずれば生きるし、信ずるには自己否定しなければならない。自分の歴史を、自分の家庭を、自分の信仰基準を、すべてを否定するような基準に立って認めることができる。しかし、今まで信じてきた聖書観の眼鏡で見た場合には、再臨はこうだというその眼鏡に合うようなメシヤだったらいいんだけど、その眼鏡には合わないや。(笑い)

  自分たちの年齢からくる欲望とか自己成功ばかりを願っている。そういう個人主義的な眼鏡をかけて見ているから分からない。メシヤは天宙主義である。天宙主義だから、自分のはかりで知ることができない。あんまりでかいからね。言っていることは、耳で聞こえるんだけれど、内容は分からない。それは二十年、三十年先、永遠のことを言っている。自動的に距離がある。それは理解できない。そういうようになれば、結局、再臨の主が来られても、再び反対せざるを得ない。再び反対した場合は、これはすぐサタン圏に回る。神の永遠なる愛の実体、平面的地上の主体者として生まれるのがメシヤであり、それを否定するのはサタンだ。別のプラスの立場に立った者だから、すぐ、サタン圏に回る。分かりました?即時にサタン圏だ。いくら(規模が)でかくても即時にサタン圏だ。

  メシヤのための基台をつくるべき者が、即座に銃をメシヤに向けて、サタンの軍の先頭になっている。銃を天の方に向けている。それで、こういう歴史的伝統の内容を抱えている人間社会にメシヤが来られた場合には、必ず歓迎よりは迫害に追われやすいというのが、堕落した歴史世界の歴史観を通して見た結論である。分かりました?

メシヤが来た場合、「私がメシヤだ」と言えば、「ああ、そうですか」と言ってみんな従わなければならない。しかし、それができない。だから神様は今まで、数十万年の歴史を延長してこざるを得ない。これを知らなければならない。こういう内容になっていることを誰が分かるか。神様がいて、迫害すること自体これは矛盾している。愛する者に対して、神はローマでの四〇〇年間、キリスト教徒をなぜ迫害させたか。原則から見た場合、世界の果てまで通ずる基準が現れるまで迫害は続く。だから四〇〇年間で世界的になった。はっきりするだろう? (はい) 。それで、キリスト教基盤を中心として、統一教会の先生が地上に現れたのは第二次大戦後だね。これを話せばずっと長くなるよ。





公開質問状&反論まとめ


       教会の「声明文」と「第三弾」に対する反論と提案(その3)


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「今日の訓読のみ言」復興集会映像まとめ

              

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