1963年5月22日
統一食口の正しい生活
では、皆さんが統一教会の食口だとすれば、何を考えなければならないでしょうか? 堕落によって分裂したこの歴史や世界や天地を、何によって一つにするかということを考えなければなりません。
一つになることを慕わなければなりません。その限りない慕わしい心情を持ち、億千万のサタンたちが攻撃するときに、一つの心情の盾になって防ぎ止められる自らになってこそ、統一食口だということができます。
統一の食口は個人であり、統一教会は全体です。それゆえ、個人個人が宇宙的な分裂役事をするサタン(この世界を一つに糾合しようとする天の前に反対する怨讐)を、せん滅できる信念を持ち、恨と無念な心を抱いて生きていく群れにならなければなりません。統一の群れは、このようにならなければなりません。
天は一個人ではなく、数多くの氏族とこの世界人類を収拾しようとされます。私たちが天の側から、この世界を眺めれば悲惨です。ある時代で形成された宗教でもなく、歴史的な背景をもっており、数多くの主権を動かしてきながら、伝統的で、強固な基盤を築いた数多くの宗教。今後、必ず一つの世界を成し遂げなければならない天の側から見れば、これは悲惨なものです。
今後、どのようにして一つの宗教をつくるのでしょうか? これの根を取り除いて、一つの宗教にしなければなりません。そうすることができなければ、私たちは一つの国を造りあげることができないのであり、一つの国を造れないときには、一つの天地を造ることができないのです。
それゆえ、今後、この摂理史を代身していく統一教会の食口たちは、統一という言葉を尊重視し、統一の価値を生活で主張しなければならないのです。
皆さんの生涯路程で世界が一つになるなら、皆さんは夢の中でも、それを歓迎する群れにならなければなりません。
一つになろうという運動の前に、分裂的で、破壊的な行動をする人は、私たちの敵です。サタンは皆さんを殺す矢として、それを利用しているという事実を肝に銘じなければなりません。
今まで私たちは、サタンによる個人的、家庭的、教会的、社会的、国家的、宗教的な矢も受けてきました。けれども、今日まで残ってきました。統一教会という名前を中心として、糾合点とともに、善の基準を整えてきました。
今日、私自身が行くべき最終的な目標点はどこでしょうか? 統一教会の名前で終わるのではありません。統一教会を立てることは、神様の一時的な願いであっても、究極的な願いではありません。願いを成就するための段階的な願いになるかもしれませんが、それが最終的な願いではないのです。
私が考えるに、イエス様がこの地に再び来られる目的も、ある教会を統一するためや、国をお父様(神様)の前にささげるために来られるのではなく、天宙をお父様の前にささげるために来られるのです。
統一された教会を超えて、統一された国家を造らなければならず、統一された国家を超えて、統一された天地を造らなければなりません。そして、この統一された天地を統括することのできる真なる主人を教会が迎えなければなりません。このように、天地を代表することのできる主導的な責任者が再臨主です。神様が要求する人物です。
では、今日の世の中で、一番統一するのが困難な人たちは、どのような人たちでしょうか? いくつかの教派に分かれて闘う人たちではありません。このような人たちは、小さい分野の真理でこちらに押し流されたり、あちらに追われていく人です。頭も尾もない人たちです。
一番収拾するのが難しい人は宗教者です。摂理やその道を信じる宗教者たちです。皆さんが数多くの宗教を統一しなければならないと考えるときは、宗教はある主権下にあるのではない、という事実を知らなければなりません。
ある時には、数多くの為政者が刀や槍をもって号令をかけたかもしれませんが、彼らの後孫たちは、必ず、そのような自分の先祖を思いながら嘆息し、降伏状を書いてささげたのです。このような歴史をもったのが宗教です。
今日、私たち統一教会員たちが知るべきことは何でしょうか? 宗教を統一しようとすれば、どのようにしなければならないでしょうか? 一時的な統一ではありません。永遠の統一です。生活統一から行動統一、理念統一、心情統一まで成さなければならないのです。 ただそのままでは、絶対に統一できません。何かを見せてあげなければならないのです。
その一番目は、私自身の人格を見せてあげなければなりません。二番目は、真なる宗教的な生活と行動を見せてあげなければなりません。それゆえ、歴史的なある主義とか、思想とか理念を代表することのできる人格を備えなければならないのです。また、歴史に永遠に残り得る生活をしなければならず、全天下が公認することのできる行動をしなければなりません。見せかけや仮装ではなく、真実に、決心したとおりに表現することのできる生活の土台をもたない限り、統一は不可能です。
このような内容を備えた代表者は、どのような存在でしょうか? 人間のすべての事情に通じることのできる人格者です。ある限界圏内の事情にだけ通じる人ではありません。歴史的な曲折と、時代的な苦痛と、未来の困難があるとしても、天の前に時代的な事情を代身することができ、人類の事情をすべて理解することのできる、内外を備えた人格者です