地上生活と霊界 P.83
神様は霊界のどこにいらっしゃるでしょうか。絶対的な中心、愛の中心にいらっしゃいます。その愛は真の愛です。皆さんは第1に、神様を知らなければならず、第2に、永生を知らなければならず、第3に、真の愛を知らなければなりません。真の愛をもたなくては永生がありません。永生しない人は、神様に会うことができません。
これから、世界をどのように収拾するのでしょうか。第1は利他主義、第2は真の愛、第3は永生に世界が収拾されるのです。
真の愛とは、何でしょうか。自分の生命の投入をしなければなりません。生命を投入しない所には、真の愛はありません。生命を投入するところから真の愛が成立します。「真の父母」が成立しなければ、永生はないのです。
なぜそうなのでしょうか。皆さんがサタンの血を、サタンの血統を受け継いで生まれたからです。それで、聖書には、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な第一の戒めである」(マタイ22・37、38)とあります。この言葉の意味は何でしょうか。心を尽くして、思いを尽くせと言ったのは、生命まで懸けなさいということです。これが第一の戒めです。
第二の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ22・39)ということです。「隣り人を自分を愛するように愛せよ」というのはどういうことでしょうか。生命を懸けて愛しなさいということです。生命を投入しなければいけません。なぜ、生命を懸けなければいけないのでしょうか。第1は、サタンを屈服させることができず、第2は、サタンの環境から抜け出すことができず、第3は、サタンの血統から抜け出すことができないからです。
男女が生まれたのも、利他主義です。男が生まれたのも女のためです。これは、絶対的な真理です。永遠の真理です。なぜ、そのように生まれたのでしょうか。真の愛のためです。
男もそうであり、女もそうです。世の中では、「二人で永遠に一つになりたい」と言いますが、二人が一つになって何をするでしょうか。神様を占領しようというのです。真の愛でなければ、神様を占領できません。
皆さんの家の中で、主人には誰がなるでしょうか。その家の全体のために、一生を生きていく人が、中心者になるのです。神様の代わり、父母の代わりに中心者になるのです。
百名の友達がいるとき、その百名のために一生の間を生きれば、その友達百人からあがめられる中心になるのです。ですから、永遠の世界で、永遠に「ため」にする主人がいれば、永遠の主人になるのです。その方とは誰でしょうか。神様です。ところで、その方は我々の父であるために、すべての宇宙が「私」と共にいるというのです。そこに永生があります。そうでなかった所には、永生がありません。
それで、聖書に、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とあります。それはどんな言葉でしょうか。死を越えるべきで、越えなければ生きることができないという言葉です。