生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
世界的カナン復帰を目前にした40年荒野路程
絶対信仰と絶対愛 1994年10月9日
韓国・中央修練院にて (抜粋のみ言)
モーセを見なさい。エジプトから出てきてペリシテに行けば21日路程です。実際、そうだというのです。直行すれば、短い日数で行けるのに、全部ペリシテを恐れたので、躊躇することによって、紅海を割って、シナイ半島を通じて帰らなければならなかったのです。反対に行くのです。
また、紅海が前に横たわるとき、神様が私たちをエジプトから出したのに、紅海が横たわるとは何ということかというのです。後ろに軍隊がついて危険に置かれるようになったとき、モーセは大変なことになったというのです。未来の建国理念を置いて出発したこの民族が、どこに行こうとするのかというのです。モーセはどれほど深刻だったことでしょうか。ですから、命を懸けて紅海を割るのです。紅海を割っていくことはいいことではありません。条件になるのです。また再び不信することがあれば、行くべき道がふさがってしまうというのです。蕩減の路程は、失敗したものが行けば行くほど解けるものではありません。歴史に荷物として残り、未来の塀として残るのです。
このようにして、シナイ山を越え、カデシバルネアに21日目に到着するはずなのに、18ヵ月目に到着しました。数か月という期間に整備し、ヨルダン川を渡ろうとしましたが、そこで磐石を2打したことによって問題が生じたのです。このことによって、荒野40日路程が40年を送ることになり、その中でイスラエルの第一世は、はげたかのえじきになりました。モーセと一つにならなかった民族は、はげたかのえじきになったのと同様に、今日、統一教会で先生と一つになれなかった第一世は、はげたかのえじきになり得る立場に立っているということを知らなければなりません。
この二世という者たち。自分のお父さん、お母さんの失敗が何か分からず、自分が勉強できず、自分が貧しいと不平をいえる立場ではありません。これは、(今、生きている時代)砂漠と同じです。40年荒野時代です。世界的カナン復帰を目の前に控えた40年荒野路程を行っているのです。幼い人も年を取った人も、その国の王になり得る資格者も、避難民もこじきも、共に行くのです。高い低いはありません。先生はこじきの王です。子供たちゆえに、家を持ってはならないのです。
私がアメリカにたつ72年までは、月給を与えませんでした。国がないのに、誰が月給をくれますか? 荒野路程なのに、誰が月給をくれますか? 自分たちが努力をしなければなりません。マナとウズラを食べたように、どのようにしてでも自分が努力をして解決していかなければなりません。先生も皆さんと同じ立場で歩んできたのです。歴史は生きているということを知らなければなりません。
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