生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
人生路程に対する祈祷文
地上生活と霊界 16頁
愛するお父様、 天が屈辱を受けるその恥ずかしさを恐れながら、幼い時から今まで戦ってきた小さな者を守ってくださったお父様の恩賜に感謝申し上げます。
この地に何が良いといっても、お父様が運行される本然の心情につながったもの以上に貴い基準がないことを思うとき、その立場を無限に恋しがらなければなりません。お父様のその愛に接する人は、世の中の万事をみな放棄しても未練の残らない立場にあるということを、私たちは知るべきです。
今私たちは、お父様の愛で暮らす理想世界、本然を訪ねていかなければなりません。第三の生の自由権限をもち得る解放児として出生するその日を、今日この地上世界で準備しなければなりません。
赤ん坊が胎中にいるとき健全であってこそ、地上に生まれてからのその一生が健全であり得るのと同様に、地上生活が健全であってこそ、天国の生活が健全であり得る、ということを知らなければなりません。天と地が協助し、万宇宙の動的な運勢に拍子を合わせることができる立場に立つためには、今日の世の中とは相いれず、悪が主管する世の中であるために、死を覚悟しなければいけないという事実を、私たちは知るべきです。私たちの後孫たちは私たちと同じ立場に立てられては絶対いけない、ということを悟らなければなりません。
愛するお父様、今まで春の環境を開拓するために、絶えず苦労されたお父様がいらっしゃるという事実を思うとき、私たちはお父様に無限に感謝し、無限に歓迎しながら、自分の生命と愛全体を、そっくり移してさしあげられる自らになれなかったことを嘆息し得る息子、娘になるべきです。私たちが新しい春を迎えるためには、私の生命が同化することができる因縁をもって、そこに完全に吸収されなければならないということを知るべきでございます。
そうしてこそ、初めて春を迎えて花を咲かせることができるという事実を知るべきでございます。「一生で、どのひと時に春を迎えたことがあるのか」と聞かれるとき、いつだと答えられない、春を迎えられずに逝ったかわいそうな霊になってはいけません。一つの花が咲いて実を結ぶためには、夏と秋を経なければならないように、私たちも一つの実を結ぶためには、そのような過程を経なければならないのでございます。
一つの生命が投入され、実が結ばれるまでには、夏の季節を過ごし、その根と幹と枝の全体から生命の要素を吸収してこそ、完全な生命力をもって第二の生を出発できるという事実を思うものでございます。同様に、この体は死んだとしても、その心の中に、新しい世界に再び生まれ得る生命の気運が膨れ上がり得るかという問題を、自ら推し量ることのできる息子、娘になるべきです。
いくら歳月が過ぎていき、暴風雨が激しく吹き荒れても、内的な生命力は、その環境の侵犯を受けずに絶えず発展の路程を行ってこそ、春を迎えて再び蒔かれ得る、第二の生命の母体である種になれることを知るのでございます。
同様に、私たちの外的な姿はみすぼらしいものですが、無限の生命力を集約できる母体、あるいは結実体として再び無限の世界に植えられ得る価値ある人がいるならば、いくら外的に悲惨であっても、悲惨な人ではないということを思うのでございます。その外的な姿が悲惨になれば悲惨になるほど、内的な価値はより充実するということが保障されるという事実を、私たちが知るようにお許しくださることを切にお願い申し上げます。
お父様、 お父様に侍り、謙遜に敬礼を捧げたい心のない人は、永遠のあの世でお父様と因縁を結ぶことはできない、ということを知るべきなのでございます。
今、私たちが、心の門を開いてお父様の心情を感じさせてくださいまして、今日我々の心から聞こえてくるあなたの音声を聞き、失った自分の体を探すことができ、お父様が私一人を探すために、私の背後において艱難と苦労の歴史過程を経てきたことを感じて、自ら頭を下げることのできる私たちになるようにお許しください。
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