今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

人間は神様が臨在される聖殿(2月2日)

Feb.2.2017 今日の訓読のみ言

人間は神様が臨在される聖殿


成約人の道 
第一章 人生観

もし人間の先祖、アダムとエバが堕落しなかったならば、どのようになっていたでしょうか。アダムとエバは、神様と一つの体になり、神様と同じ立場に立ち、神様の創造の威厳を継承し、神様が創造後、お喜びになられたのと同じ位置に立つことになっていたはずです。神様と人間の間で、そのような関係を結ぶようになるのです。堕落していない本然の人は、神様の聖殿になるのです。(54-64, 1972.3.11

 アダムとエバは、神様の息子、娘であると同時に、神様の聖殿です。彼らが共に成長し、聖殿が完熟するように造られたなら、神様がアダムとエバの中に入ってこられるというのです。そして、完成したアダムとエバが神様を中心として聖なる式を挙げれば、それは何ですか。神様と一つの体になるということです神様は内的な神様になり、私たち人間は実体をもった神様の体になるというのです

コリント人への第1の手紙第3章16節を見ると、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」というみ言があります。信じて救いを受ける人も神様の聖殿になるのですが、本然の人類の真なる先祖の位置に進むその方たちにおいては言うまでもないというのです。(54-139, 1972.3.22

 神様が父になり、人間は神様の息子になったとしても、父は上にいて息子は下にいる上下関係のような、そのような気分がするのです。そのとき私たち人間は、どのような考えをするのでしょうか。「お父さん、お父さんが座っていらっしゃったその席を、私に1度下さい。私もお父さんの席に座りたいです」という欲望が私たち人間にはあるのです。ここで神様が、「おいこいつ、駄目だ」と言えば、すべて壊れるのです。しかし神様は、そのように言われないのです。むしろ神様は、私たち人間がそのような欲望をもっていることを知っていらっしゃるので、「早く、そうしなさい。早く、そうしなさい」と言われながら、その位置までも私たち人間に下さるのです。その位置まで人間に下さり、神様は私たちの心に臨在され、私たちの心を聖殿として、そこにいようとされるのです。(54-90, 1972.3.20

 聖書には、「私たちの体は聖殿である」とありますが、それはどういう意味か、解釈できずにいるのです。それは偉大な言葉です。いくら大きな神様だとしても、その神様と私が愛をささやける愛の対象圏になり、その愛の対象圏と一つになれば宇宙を相続し得る権限が生じるからです。愛という原則基盤を通じて神様が造った世界、霊界、無形世界、実体世界、このすべて、すなわち宇宙の相続権を獲得できるのです。この驚くべき事実を知らないのです。(137-68, 1985.12.18

 アダムは、実体をもった神様の体です。コリント人への第1の手紙第3章16節にあるでしょう。あなた方の体が聖殿であることを知らないのかと。聖殿は、神様がいらっしゃる所でしょう。私たちの心に本然の愛が芽生えるその場所を、至聖所としているのです。ですから、アダムの心に神様が宇宙的な愛の聖殿を造り、愛の力を伸ばし、愛の花を咲かせようとするのです。これが、神様がアダムとエバを造り、家庭と世界に繁殖しなさいと祝福してくださった目的であることを知らなければなりません。(121-113, 1982.10.24

 一番神聖な所とはどこですか。至聖所とはどこかというとき、エルサレムの聖殿が至聖所ではありません。人間が造った、そこが至聖所ではありません。神様が造られた愛がとどまれる所が、最高の至聖所です。この至聖所を失ってしまったのです。ですから、人間の罪がどれほど大きいでしょうか。(136-311, 1985.12.29

 神様が人間を造ったのは、実体の神様の体として造ったということです。コリント人への第1の手紙第3章16節を見ても、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」と言っています

 聖殿とは何ですか。神様の家だというのです。アダムとは誰かといえば、神様の体であり、エバとは誰かといえば、神様の夫人だったというのです。このようになっていたならば、その子供は、神様の血統をもって生まれるのです。彼らが神様の血族になるのが原則です。(135-313, 1985.12.15

 完成段階に至った人間が霊界に行くと、どのようになりますか。アダムは、神様の体になります。アダムは、神様の体になるというのです。ヨハネによる福音書とコリント人への手紙に、「あなた方は神様の聖殿である」と出ているのと同じように、神様が臨在できる聖殿です。家です。神様と、どのように似ますか。責任分担完成段階に至り、神様が臨在し一つになれば、愛によってすべての生命の結合、一体化が成し遂げられるのです。生命が和合するのです。
 

 男性、女性が家庭、夫婦を成すということは、愛を中心として一体となり、和合するということです。それと同じように、その愛の力は、神様と和合するようになるのです。神様と和合するようになるということなのです。(130-22, 1983.12.11

 人間が完成して成年になれば、そのとき、見えない神様が入ってきて愛をつくるのです。神様が好むと同時に、アダムが好む激動的愛を神様ができるというのです。それゆえ愛は、最高の神聖な聖殿です。神聖の聖という字です。
 

 ですから真の愛の中には、どこでも神様が入っていらっしゃるというのです。なぜ人は、真の愛を好むのでしょうか。真の愛にさえ会えば、神様がここにいらっしゃるというのです。主人がいるようになっているのです。ですからアダムとエバが成年になって愛するとき、アダムとエバの体は、この宇宙を創造した神様がその中に入ってきて最高の神聖な聖殿を築く、神聖なところになるのです。(128-326, 1983.10.2

 エバとは誰かというと、アダムの妻です。アダムは、神様の実体です。「あなたの体は神様の聖殿だ」と言ったのです。神様は、アダムの心に臨在している、見えないアダムです。この二つの父が一つになるのです。合一されるのです。そして霊的世界、無形の世界と有形の世界の合一の起点がアダムの本性的基準です。その本性的基準は何ですか。お金のふろしき、欲心のふろしきではないのです。純粋な思春期を通じてすべての細胞機能が総動員され、一つの触覚として、アンテナとして現れたその基準を中心として、神様がそこに臨まれることにより、定着するのです。(120-70, 1982.10.3

 コリント人への第1の手紙第3章16節を見れば、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」というみ言があるでしょう。これが何かというと、神様の聖殿です皆さんが神秘的な境地に入って祈祷しながら、「神様、どこにいらっしゃいますか」と尋ねると、答えがとても素晴らしいのです。「ここにいる! なぜ、そのように大騒ぎするのか」とおっしゃるのです。「朝御飯を食べられなかったのか。夜遅く、なぜ大騒ぎするのか」と言うのです。「どこにいますか」と尋ねると、「どこにいるも何も、その深い心の奥に立っているだろう! お前の心の中にいるだろう!」と言われるのです。天国がどこにあると言いましたか。心の中にあると言いました。     (224-215, 1991.11.24

各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の巻数とそのページ、または、み言を語られた日付を示しています。


 


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