生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
先生の家に伝わる家訓
御旨と世界P.736
家庭天国をなす、というみ旨ですが、天国とはどのようなものでしょうか? 通り過ぎていく乞食もこの家に入って休みたいと思うし、犬もその家の前でおしっこをしたいと思うし、鳥もその家の門に巣を作りたいと思うし、村中の人々もその家に行きたいと思うようにならなければなりません。そうならなければ、神が共に住むことができないのであります。神の愛が注がれている所ですから、すべて生命あるものの平和の安息所になるので、その家に行きたいと思うのです。祝福家庭はそのようにならなければなりません。お客様が家に来た時、生活が苦しいから一日も早く帰ってほしいなどと思ってはいけませんよ。祝福家庭というのは、お金がない時には自分の洋服を売ってでも、お客様を接待してあげなければなりません。そのような人の未来には、上着が何着も下着までついてくるような恵みがあるのです。
先生の家にも代々伝わる一つの家訓があります。それは通り過ぎていくお客様をよく接待してあげることです。私の祖父の時代にも寒い冬の日に乞食が来て、3回以上「何かを恵んでください」と物乞いする声が聞こえると大変なことになります。直ちに、御自分が召し上がっていたお膳を持って行って全部与えてしまうのです。そして、祖父と祖母の喧嘩が始まるのです。分かりますか。もし、あなたたちが乞食になったと思ったらどうでしょう。冬の寒い日に、他人の家の前に行って物を乞うことが簡単なことでしょうか。その時には食べさせてあげなさい、というのです。命を懸けているので、神の前に、天道を行く人間が、その人は命を懸けてやっているので分かってあげなければなりません。それで、御飯をたくさん食べさせるのです。祖父は妻が大切であるというよりは、乞食が大切であると思うのです。子孫万代を考える時、乞食がもっと大切なのです。そのような思考方式をもたなければなりません。私の父もそうでした。絶対に三回以上物乞いをさせませんでした。父もお膳をそのまま持って行って与えるのです。
神がそれを見る時、記憶することと思います。先生のような人がそのような家庭から生まれたのです。何の話か分かりますか。他人のために夫婦喧嘩をするのです。他人を助けないといって、夫婦喧嘩をするのです。その責任は主人にあるのです。主人が他人を助けない時には罰を受けます。教会長も外国から訪ねて来るお客様をよく接待してあげてください。いくら御飯がなくて、飢え死にするような時でも、一膳の御飯を村の人と分けて食べなければなりません。そうすれば、私が飢えるようになる時、私の知らないうちに誰かがお米を持って来てくれます。
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