生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
先生の東京遊学時代
文鮮明先生み言選集 No15 1965年10月8日(金)
早稲田大学原理研究会野方学舎
休日のような時には、川崎にある会社などによく行きました。そこには硫酸タンクがあって、労働者がその硫酸タンクの中に入って浄化するために原料をずっと降ろすのです。そうしてその装置は何年間か使ったら、使えなくなって捨てるのです。硫酸が染み込まないのです。それでこれを交換するために、そんタンクの中に入るのです。ところでその中では、15分以上仕事をすることができません。そんな所で闘って仕事をしたのです。
金がなくて、そんな仕事をしたのではありません。先生が先生の兄さんに「全財産を売って金を送れ」と電報を打てば、兄さんは世界の代表的なカインとして、すぐ送ってくれました。こんな人は滅多にいません。先生の兄さんは、先生がどんな男かをよく知っていたのです。先生の使命については良く分からなくても、世界でただ一人以外になく、世界をやっても取り替えることができない、そんな男であることを良く知っていたのです。天から啓示を受ける熱烈な信者でした。ですから金が必要だと、電報を打てばすぐに送ってくれたのです。先生はお金があれば全部、親友に与えました。なぜこんなことをやったのか?
先生は「誰よりも日本を愛する条件を立てる」こんなことを考えたのです。いろんな所に行きました。とても大きな杉の木を抱き締め、涙を流して泣いたこともあります。
韓国が日本の政権下にあった時、先生は何度も留置所に連れていかれました。これは東京に来た時には、一月に一度は警察署に呼ばれました。その警察署は高田の馬場駅の、早稲田大学の右側にありました。
その時にも先生が韓国に帰ろうとすれば、韓国に連絡が行くのです。「何某が韓国に帰った」と。学生ですが、要注意人物でした。しかし普通の人は先生をよく知りませんでした。先生を見れば、着ている物はヨレヨレの古着でした。その服を見ればテカテカに光っているのです。(笑い)人々はみんな気分をだして、頭にはてポマ-ドやら何やら塗るのです。風が吹くか台風がくれば、髪の毛が風に乱されるからといって塗るのです。しかし先生はそうではありません。先生はどんな春の日、夏の日にも塗りません。また歩く時にも、下から45度以上、上を見ません。こんなことをしました。
先生は雪が降る日や台風が吹く日には、学校に行かないで、下層労働者の飯やに行って働きました。そんな時には、ほんとに気分が良いのです。台風が吹いている時ですので、そこで手が真っ黒になっても、雨に打たれて流されて、きれいになってしまうのです。その気分はほんとに爽快なのです。
先生は日本から、多くの拷問を受けました。しかし戦争が終わって、拷問をしたその特高刑事に復讐をしょうとしている友達たちを集め、「哀れなのは負けた日本だ。すでに主権を失って、膝を屈している哀れな人間を打つ者は、神が罰っせられる」と話して、また韓国から追われている日本人をひそかに呼んで「拷問される前に早く帰りなさい」と言って、荷物をまとめることもしてやったのです。こんなことが沢山ありました。
皆さんは日本を愛していますか? どのくらい愛しているの? 見当がつきません。
まず、皆さんを産んでくれた、父母を愛しなさい!
その父母の手が、か細かったなら、その手をとって涙を流せ! 弟たちが、他の人々のように良い物を着られなかったならば、その着物を抱えて涙を流せ! 自分の父母に対して自分の兄弟に対して、責任を負え! これをしないで、その心を持たない者が、どうして国を愛せるのか?
心情の世界には、国境がありません。言語というものは、境界とはならないのです。先生は日本に来れば、韓国人ではありません。韓国人ではなく、天の人間です。ですから天国人です。
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