生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
公的統治の法度
「公的統治の法度」一九七〇年六月四日
『文鮮明先生み言選集第三十一巻』
十一条の意味と万物管理の方法
キリスト教の十一条を見ると、そこには実に怖い内容があることを知るようになります。十一条を出さなければならないという聖書の一節もあります。十の中から一つを神様に捧げなさいということです。「神様に見えるのか。十一条とは何か」と言う人もいるでしょうが、十一条は、一つだけ行って十まで行くということです。
もし皆さんの両親の誕生日祝いや還暦祝いを迎えて、お祝いをするために牛もほふり、豚もほふって、ある物ない物みな作って捧げるというとき、その方々はそれを全部食べますか。そうではありません。受けることはみな受けますが、みな食べることはできません。ほんの少ししか食べることができないのです。しかし、このように少しだけ召し上がっても、みな召し上がったという条件が立てられるのです。
これと同様に、十一条は私が所有している物質の中から十分の一を神様に捧げることによって、全体を捧げるという意味をもっているのです。神様に全体は捧げないけれども、その中の一つを精誠を込めて捧げるということは、そのような意味で価値があるのです。そのように一つを捧げることによって、残りの九も聖なる物として取り扱われるようになるのです。このように十一条を捧げて生きる人は滅びることがないのです。日がたてばたつほど彼の倉庫が増えるようになっているのです。
さらに公的な人は、すべての万物を公的な世界の統治法で管理することができ、主管することができるのです。その内容が正に天法だということを私たちは知らなければなりません。皆さんがこういう原則を知るようになれば、どのような言葉や行動、その上暴力を振るったとしても罪にならないというのです。悪を取り除くためであれば罪になりません。したがって皆さんはいつも善と悪をえり分けて、より大きいことのために生きなければなりません。
天地のために生きる人たちほど怖い人はいません。天地のために生きる人たちは宗教人ですが、彼らは今までサタン世界、世の中の人々から迫害と嘲弄と蔑視と冷遇を受け追われきました。しかし宇宙の公法に照らして見るとき、そのような人たちがより公的な人です。
何の理由もなく追い込まれ追い出されることが良いことですか、悪いことですか。そういう立場に遭うと、その時には悪いでしょうが、結果は良くなるというのです。始まりは悪いけれど結果は良いというのです。これとは反対に、世の中のすべての私的なものは、始めは良いけれど結果は悪くなるのです。滅びるというのです。
悪は始めは栄えるように見えるけれど結局は滅びるのであり、善は滅びるように見えるけれど結局は必ず栄えるのです。したがって公的なものは、始めは滅びるようだけれど結局は栄えることを皆さんは知らなければなりません。
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