今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

地上天国の出発点(7月21日)

July.21.2016 今日の訓読のみ言

地上天国の出発点

「心情の境」1967612日  東京教会 

 

 結論としては、の心情しみの心歴史程を通過してまだびのは始まっていない。を通して、この心情圏を始め得ようか。我幼きの身げて、道を開かなげればならないという使命がある。それをするは、それをは、労の道をゆかなければならない。犠牲を払わなけれならない。そういう立場にった我ならば何をも惜しむ気持をもつな。辛いということを思うな。

 

 神を考えてみなさい。我々以上、歴史的な辛い立に立っておりながら、我々を慰めておる神の心情を思う時に、我々よりももっと辛い立場にっておる世界万民がのこっておる。彼らは、我らの救いの手を出してやらないと、救われい。そういう彼らととくらべてみると、彼らは不立場であり我々は福な立場である。そう立場えながら、自分の辛さを忘れて万のため生命をかけて、を流しながら自分犠牲びとして祈り、力する人がおれば、その場は神が我を救う立場じだから、我は神の苦労立場、神の辛いに参加した条件をてるが出る。

 

 その立場に立つというと、神の心、その人から出し得るということですね。この場、その圏内から天国がはじまるわけなんです。我々は神の身代わりとして、神が我々を慰めてくれるように、我々も世界万民を慰め得なければならない立場にある。そういう立場ってゆくらば民の祝福は我々の手より始まる。万民の幸福の始まりは、地上天国の始まりはそういう人から始まるという事を忘れてはならない。またそれを々がやらなければならない。そうならざるを得ない。神がそういう立場であるから。堕落世界のしみの心情界における史的な使命を、神がういう立場に立ってもっておるんだから、我々もそういう立においての歴史使命を万に対してたさなければならない。だから、そういう意味において、神のとなり神の娘となる決意んですね。


 

 渡米修練会 ① (編集なし) 1:38


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