生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
完全投入
文鮮明先生み言選集(173-213)
「後天時代の生活信仰」
創造の起源は、愛を中心として「ために生きる」論理でした。対象のためにすべて投入すること、これが偉大なのです。ここから生活哲学が出てきます。愛は理想的な航海をしなければなりません。私たちがそのような目的世界に向かって、方向性を定めて生きていくためには、ために生きなければならないという生活哲学の論理が出てくるのです。完全投入しながら行く道以外には、真の愛の道に出会うことはできません。それは、完全に投入し、完全に「ために生きる」ところにおいてのみ可能です。このようなことが、すべて理論的に生活哲学の基盤にならなければなりません。(173-213)
投入して忘れてしまう人は、必ず中心存在になるのです。これは天理原則です。皆さんの兄弟なら兄弟、友人なら友人の中でも、全体のために生きれば、自分が願わなくても自然に中心存在になります。私のために生きなさいとすれば、すべて消えていきます。破壊されるのです。自分のために生きる所は、破壊されるのでサタン側であり、人のために生きる所は、全体が一つになるので天の側です。皆さんも、生活哲学において、このような原理的基盤を基調として立て、生活のすべての舞台を整備していかなければなりません。
私は、できる限り忘れてしまいます。世の中の困難だったことを、すべて忘れてしまいます。それが生活哲学です。記憶もしないのです。3年たてば、その顔があやふやになります。記憶する必要がないのです。神様が堕落したことを今まで記憶していれば、どのように生きていくのですか。それを忘れてしまった立場で、再創造するために、自分を投入するために努力されたのです。ですから、神様の愛は、偉大な愛なのです。(202-324)
どこかに行って日雇い仕事をするとしても、「私は、きょう主人になって働くのだ!」と考えなければなりません。日雇い労働者として働くなというのです。この本意を知ったので、働いて忘れてしまい、働いて忘れてしまおうとする人は、仕事をしても疲れません。私のような人は70を超えましたが、これが生活哲学になっています。もっと投入しなければならないということです。足がふらふらしても、もう少し投入しようというのです。(222-20)
「終始一貫」という言葉があります。皆さんは、このようになってはいけません。皆さんは、「始小終大」になることができるようにしなければなりません。たとえ始めは小さくても、終わりは大きくなければならないのです。それが先生の生活哲学です。先生は、いくら難しくても、難しいとは考えません。台風が吹いてくるとき、根が弱ければ、抜かれて飛んでいきます。どんなに吹きつけてきても抜けない基準にまで、願いを成し遂げ得る基準にまで、やるのです。 (231-312)
統一教会の教会員たちは、「終始一貫」ではありません。「始小終大」です。終わりが大きくなければなりません。その世界は、与えてまた与えようとするので大きくなるのです。堕落したので、復帰する過程においては「終始一貫」です。それは、同じであってこそ合うからです。しかし、今後、私たちの世界は、自分を中心として自分が大きくなってはいけません。愛を中心として、真の愛が願う世界を一つにするにおいては、終わりが大きくなければならないのです。「竜頭蛇尾」は、私たちには必要ないのです。(231-350)
私を捕まえて監獄にほうり込んでも、「始小終大」の思想で絶対に後退しません。大きなものを前にしてぶつかるのです。ぶつかるようになるとき、誰が守ってくれるのでしょうか。神様が守ってくださるのです。神様が主人であり、主体になるのです。
自分が監獄に入って閉じ込められたとしても、その心を捨てなければ、監獄ではなく死地に行っても、天が引っ張り出して相対的位置に立て、東西南北自由解放圏に向かって、いくらでも新しい道を開いてくださるのです。これが統一教会の文総裁が、迫害を受ける世界において、漸進的実績、付加的実績を備えて、世界的な基盤を築いた伝統的生活哲学であることを知らなければなりません。(232-53)
先生の生活の哲学は、どこに行っても1歩プラスするのです。山に登ってもそうです。すべて登りきったとしても、最後からまた1、2、3以上、11、12まで数えるというのです。最後にもう一歩歩いた、それが新たに発展する条件なのです。もう1歩でも行けば死なないというのです。サタン世界と競争すればそうです。
文総裁が、今日迫害される世の中でこのような基盤を築いたのですが、その生活哲学の主流は何でしょうか。停止はあり得ないという思想です。私は80近い年齢になりましたが、停止することはできません。若い青年に負けることはできないのです。発展とは何ですか。復興に通じます。繁栄と通じ、天国と通じるのです。(273-229)
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