今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

平和の原理と愛の息遣いを生かす(9月4日)

September.4.2015 今日の訓読のみ言

平和の原理と愛の息遣いを生かす

自叙伝  P.15


今日、私たちが生きる世界では、相も変わらず大小の紛争と葛藤が絶え間なく続いています。食べ物がなくて飢餓にった人が数億人もいるのに、軍事費に使われるお金は数100兆円に上ります。銃や爆弾の製造に使うお金だけでも節約すれば、多くの人が飢えの苦しみから救われることでしょう。

 私は理念と宗教の違いのゆえに相手を憎み、互いに敵となった国どうしの問に、 平和の橋を架ける仕事に生涯を捧げました。イスラーム(イスラム教)とキリスト教が融和するように交流の場を設けたり、イラクをめぐって対立する米ソの意見を調整したり、北朝鮮と韓国の和解に尽力したりしました。名誉や金欲しさでしたのではありません。物心がついて以来、今に至るまでの私の人生のテーマはただ一つ、世界が一つになって平和に暮らすことです。他のことは眼中にありません。昼夜を問わず平和のために生きることは容易ではありませんが、ただひたすらその仕事をする時、私は幸福でした。

 東西冷戦時代、私たちは理念によって世界が真っ二つになる経験をしました。  共産主義さえなくなれば平和がやって来ると思っていましたが、そうはならず、冷戦が終わった後に多くの争いが生じました。世界は人種と宗教によってばらばらになってしまいました。国境を接した国どうしが反目するにとどまらず、同じ国の中でも人種間、宗教間で反目し、出身地域の違いでも反目しています。このように分裂した人は、互いに敵対感情が甚だしく、全く心を開こうとしません。             

 人間の歴史を振り返ってみると、最も残忍かつ惨たらしい戦争は、国家間の戦争ではなくて人種間の戦争でした。それも宗教を前面に出した人種間の戦争が最も残酷です20世紀最悪の民族紛争といわれるボスニアの内戦では、いわゆる民族浄化の一環でイスラーム信者を一掃する政策が採られ、ある地域では子供を含む七千数百人以上のイスラーム信者が虐殺されました。ニューヨークの110階建て世界貿易センタービルに飛行機が突っ込み、2棟を倒壊させた911テロも記憶に新しい大惨事です。これらはみな民族・宗教問の紛争がもたらした惨憺たる結果です。今もパレスチナのガザ地区では、イスラエルが敢行したミサイル攻撃によって数百人が命を失い、人は寒さと空腹、死の恐怖の中で身震いしています。

 一体何のためにそうまでして互いを憎み、殺し合うのでしょうか。表面的な理由はさまざまでしょうが、その内幕を詳しく調べてみると、間違いなく宗教が関与しています。石油をめぐって繰り広げられた湾岸戦争がそうだったし、エルサレムを占有しようとするイスラーム勢力とイスラエルの紛争がそうです。このように人種対立が宗教という衣を身にまとうと、問題は本当に複雑になります。中世で終わったと思っていた宗教戦争の悪夢が、21世紀にも相変わらず私たちを苦しめています。

  宗教紛争が頻繁に起こるのは、多くの政治家が自らの利己的な欲望を満たそうとして、宗教間に潜む反感を利用するからです。政治的な目的を前に、宗教は方向性を見失ってよろめき、本来の目的を喪失してしまうのです。宗教は本来、平和のために存在するものです。すべての宗教が世界平和に責任を負っています。それなのに、反対に宗教が紛争の原因となったのですから慨嘆(がいたん)するほかありません。その醜悪(しゅうあく)な様相の背後には、権力と資本を握ったどす黒い政治が隠れています。指導者の本分はすべからく平和を守ることであるのに、かえって逆のことをして、世界を対立と暴力へと追い立てているのです。

 指導者の心が正しく立たなければ、国と民族は行き場を失って彷徨うことになるでしょう。悪しき指導者は、自らの腹黒い野心を満たすために宗教と民族主義を利用します。宗教と民族主義の本質は悪いものではありませんが、それらは世界共同体に貢献してこそ価値があるのです。私の民族、私の宗教だけを絶対視して、他の民族と他の宗教を無視して非難するとすれば、その価値を失ってしまいます。自分の宗教を押し立てて人を踏みにじり、人の宗教を見下して、憎悪の火を燃やして紛争を起こすとすれば、そうした行為はすでに善ではないからです。私の民族だけ、私の国だけが正しいと主張することも同様です。

 お互いを認め合い助け合って生きる、これが宇宙の真理です。取るに足りない動物もそのことを知っています。犬と猫は仲が悪いといわれていますが、一つの家で一緒に育ててみると、お互いの子を抱きかかえ合って親しくなります。植物を見ても分かることです。木に(から)まって上に伸びていく(くず)は、木の幹に寄り掛かって育ちます。だからといって、木が「おまえはなぜ私に巻き付いて上がっていくのか」と(くず)を責めたりはしません。

お互いに為に生きながら、共に生きることがまさに宇宙の原理です。この原理を離れれば、必ず滅亡するようになります。今のように民族どうし、宗教どうしが相互に(ののし)り合って、争うことが続くとすれば、人類に未来はありません。絶え間のないテロと戦争によって、ある日、吹けば飛ぶ埃のように消滅してしまうでしょう。しかし希望が全くないのではありません。もちろん希望はあるのです。

 私はその希望の(ひも)をつかんで放さず、生涯、平和を夢見て生きてきました。私の願いは、世の中を幾重にも囲んできた(へい)垣根(かきね)をきれいさっぱり壊して、一つになる世の中をつくることです宗教の塀を壊し、人種の垣根を取っ払い、富む者と貧しい者の格差を埋めた後、太古に神様がつくられた平和な世の中を復元するのです。飢えた人もなく涙を流す人もない世の中ということです。希望のない世界、愛のない世の中を治療しようとしたら、私たちはもう一度、幼い頃の純粋な心に戻るしかありません。


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