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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

御国とその義の本質とイエスの願い(2月18日)

Feb.18.2017 今日の訓読のみ言

御国とその義の本質とイエスの願い


文鮮明先生み言選集 No.3

「御国とその義を捜し立てよう」 19571013


 御国とその義を捜し立てる神の所望は、人間と被造万物を離れて成ることではなく、人間を通して成されることです
。その所望は真の人間を通して、神と万物が和合するところにあったのです。

 それで神様は堕落した人間のまえに、神を代身する一つの実体として、天の血統を代表する者として、イエス様を地上に送られたのです。即ちイエス様は地上に初めて、神の歴史的な所望を成就してあげる為に来られたお方だったのです。

 ですからこのようなイエス様を、当時は言うまでもなく、今日この地上に生きている人類、命のあるどんな存在までも、反対してはいけなかったのです。地上に生ある人類は、御国の栄光とその義を証しする、生活的な環境を持つべき存在なのですから、そのみ旨を成しとげる一日を希望としているのです。

 このような事実を振り返って見るとき、イエス様が逝かれた事実は、人間にとって無限の悲しみであり、最も悲痛な事にちがいないのです。それによって様々に複雑な環境にぶつかる、歴史的な苦痛の過程を経ざるを得なくなったのです。

 それでは、我々が求めている国とは、どんな国なのでしょうか? その国とその義の本質が何であるかを、皆さんは知らねばなりません。イエス様は地上に来られ、人間が所望とする御国の義を現すために苦労され、万民を愛し、万民を救援するために犠牲の道を行かれたのでした。ですからイエス様が成そうとされた御国とは「愛」が溢れる国であり、奉仕する犠牲の生活が溢れる国であったのです。これは皆さんが霊界を体験してみれば、はっきりと感じられるのです。

 それではこのような国を主管される神は、どのようなお方か? 万物に対し、人間に対し、切ない心を抱いて愛を注ぐために気づかうお方なのです。このような神が願う生活がどんなものか。神は地上の万民が自身のすべてのものを捨て、犠牲になって奉仕して、御国の建設の為に苦労をいとわない生活をすることを、願っておられるのです。

 今日皆さんは、人間が所望とする御国とは本質的な愛が実現する国、即ち与えるために切なる心を抱く人々が暮らす国であること、また愛の本質は与えるために切なること、という事実を知り、その義と通じる犠牲と奉仕の生活路程を歩まねばなりません

 それでは、神の悲しみが何でしょう? ご自身の愛を完全に与えようにも与える愛の対象者が求められないことが、神の悲しみです。そして神は人間に対して、無限に犠牲になり奉仕するか、隣人の為に無限に奉仕して犠牲になる、そんな人間が捜し求められないことが神の悲しみなのです

 それでは、イエス様が地上に来られ、終わりの日を告げられるとき、何を語られたか。神の心情を相続し、神の実体として現れたイエス様は、神の愛を語られました。そしてイエス様は地上の全人類に対し、あなたがたはわたしの友とされ、神の愛を万人のまえに証され、ご自身から行われたのです。

 このように天の愛を現すために苦労された、イエス様の心に染みたものが何であったのでしょうか? それはどうしたら万民に天の愛を与えるか、ということでした。そして、イエス様がその愛を与える目的がどこにあったか。その目的はご自身を信じて従う者だけを愛することではなく、イスラエル民族・ユダヤ教団、さらには異邦の民族まで愛して、この地上を神の愛が溢れる、理想の園に建設するところにあったのです

 ところがその当時、イエス様を信じて従った弟子や群衆、また反対したユダヤ教徒・イスラエル民族の中で、どこの誰もがイエス様の愛の心情と、永遠の関係を結ばなかったのです。

 愛を与えようとされる神の心情に似る、一人の存在を捜し求め、教団を通し、民族を通し、イスラエル国家を通し、さらには世界を通して、地上に神の国を建設されようとしたのですが、イエス様のこのみ旨を家庭が駄目にし、教団が駄目にし、従った弟子が駄目にし、イスラエル民族が駄目にしたのです

 ですからイエス様のみ旨を、再びこの地上に成すために、イエス様が再び来なければならず、そのような主様が再び来るその日が、正に今日キリスト教徒が希望とする再臨の日であることを、皆さんは知らねばなりません。

 そして、皆さんはイエス様が、人間を愛する心に染みていたと同時に、生活的な面においても、他人の為に奉仕する生活をされたということを知らねばなりません。万民の為なら自身がサタンのまえに引き裂かれ、祭物になる恨があっても一身のすべてを忘れ、犠牲と奉仕の道を行かれたイエス様だったのです。


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