生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
復帰は信じ愛すること
御旨と世界 P.440
神が人間を創造した目的は何かというと神が信じてやりたい、そういう変わらない 人間だと、神が信じてやりたいと、人間がいくら変わっても、歴史を越えて、その基準を維持してこられたのが、神様である。さあ君たちは信じることのできない者でも、信じてやる。騙されても信じてやる。それが神様である。愛してやる、共に住みたがる。お父さんもそうだよ。父母がそうでしょう。信じられない者を信じてやる。その基準において、変わらない純粋な人間、そのような人にならないといけないということを我々は知っております。本当の人、真の人はその基準において、一致したところにおいて、満たすことができるのではないか。そういう人同士、信じ合う、愛し合う、共に生き合う、その世界が地上天国である。天国の世界である。君たちもそうでしょう。神様みたいな人を、旦那さんに、奥さんにと願うでしょう。それは同じである。
信じられない者を信じてやるし、愛されない者を愛してやるし、それは自分と共に住めないような者であっても、住んであげたい。そのような思いが、神様において変わらないでいくならば、必ずその人間は、そういうところを見合った場合は、感動して、再び帰る道があるから、神様は、今まで復帰の道をたどってきているというんです。 イエス様が、聖人と言われるようになったのも、怨讐たちまでも祝福していった、 愛していったということが、神様と世界中の人々を感動させたからです。共に住みたがる、共に信じたがる、そういう思いでいたのです。だから、イエス様は、歴史を動かしました。
聖書66巻、たくさんのことが書かれていますが、すべて総合すれば、信じることを、愛することを、共に生きなさい、とそれ以外にありません。では我々統一教会において、どちらがもっと純粋で、信ずべき人かと言うと、そうした場合、神様みたいに、それは信じられない立場にあっても、信じてやる、愛されないような立場であっても、愛してやる、共に住むことができないような立場であっても、住んでやるというようなことを、続ける人ならば、必ず、その環境において、その人は勝利する。
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