今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

復活の教え(1月29日)

Jan.29.2018 今日の訓読のみ言

復活の教え

血統的転換 19701013日 韓国 水沢里

 その歴史は何か。人の誕生は男性から女性を通してなされる。そうすると、この転換の道はどこにいってその交差点をつくらなければならないか。それは女性の胎中だ。そこからずーっと、歴史はもとがえしの運動をしたという条件を立たせなければならない。そのため、神はある家庭を中心に摂理してきた。

 

 しかし、完全復帰ということを思う時に、男の骨肉の中に潜んでいる子供の種が出発である。だから、その男の血肉の中の子供の種の基準まで、神の愛を中心として一体となったという条件を立たせなければならない。そこを通過しなければ、これは完全な血統転換の基台をつくったという条件が満たされない。

 

 こういう立場から見た場合に、宗教はそのような道を行くのだから、この世界で世界的宗教はどういう宗教かといえば、再び生まれなければならないという内容をもった宗教である。だから、キリスト教は世界的宗教に名実共にならざるを得ない。再び生まれなければならない。ニコデモとイエス様の問答のように、再び生まれ変わらなければ天国に行かれないということだ。

 

 よみがえりの教えというのは、何で生まれてきたか、それは今まではっきりしなかった。どこをねらってよみかえりの基盤を出発するか、それもまだ見つけていないんだよ。今生まれて、大きくなってイエス様を信じて、三十歳で信じたからこそよみがえる、と思ったら大間違いだ。心情的内容の発生地は三十歳からではない。歴史からだ。それを取り次いだ心情の相統をした、という条件を自分にもたないと、よみがえる出発と動機はなされない。それが分からないといけない。

 

  今、血統的転換をさせるには、アダムの骨髄の中まで、骨肉の真ん中まで行って、将来の子供になるべきその種に、神の愛と結束した勝利的条件を満たさないと、将来神の子供として生まれることはできない。これは、理論的に間違いない。聖書はそのようにやってきたから、神の言葉だというんだね。

 

イエス様を慕う

今までのクリスチャンは、イエス様を主様といい、すべての愛の大本と思って、心情的に一体となりたいという心をもつ。その一体となりたいというのは、教理や聖書の教えでは一体となれない。ああ恋しい、慕い焦がれるような境地に立ってこそ、イエス様は自分と同じである。自分もイエス様の一身である。イエス様が悲しくなると自分も悲しくなる。その骨肉の中に子供の種があるとすれば、イエス様の感情すべてはその種に影響を及ぼす。うれしい時にはうれしい影響を及ぼす。悲しい時は悲しい影響を及ぼす。そうならなければ、その実体とつながる子供の種とならない。

 

 イエス様を信じるとは何か。イエス様は男である。本当は堕落しない大本のアダムである。結局は霊的でありながらも、霊的にお父様だ。だからこのお父様と一つにならなければ、再び生まれ変わる道は全くない。だからキリスト教は、イエス様のすべての骨髄の中にまで入ったという、慕い焦がれる愛情に触れ合う、そういう生活圏を体血するたった一つの教えだ。イエス様を、慕う新郎として迎えた教えである。その新郎という、花婿として教えるのは、それは二重の効果を得ようとしている。一つはその骨肉に入る子供の種となるとともに、母の胎中を通過したという条件の基台も得ようというのが、新婦という立場である。

 

 人々はみなアダムの子供の立場にある。人類はアダムの中へみな帰れ帰れという。聖霊はエバの神である。これを復帰するのに、自分は生むことができない。生まれる前にアダムの中へ早く帰るような作用をしなければならない。その作用をするのが聖霊の働きだ。だからクリスチャンはみな、イエス様の体中の子女の立場にもとがえらなければならない。

 

 今、このような信仰をしているクリスチャンは何人いるか。こんなことは分かりもしない。夢にも思わない。ただイエス様を無条件に信じて天国に行きます、と言う。自分がそれがやさしいからそういうことを言う。やりたいから言う。それで天国に行けると思ったらとんでもないことだ。原理的に見て、こうならなければ完全復帰はできない。理論的にそうである。だから万民はイエス様に帰れ、といってもイエス様の前に群がるんじゃない。骨肉の中に帰れ。イエス様の骨肉の中にまで(もぐ)りたいという信仰をもっている信者は何人ぐらいいるか。イエス様の骨肉に入るといっても、肉体は入れないよ。心情しかない。愛しかないんだよ。だから愛以外には因縁を結ぶ何ものもない。真理でもなければ正義でもない。生命がある前に愛がある。父母の愛によって生まれてくる。愛なくしてそれを結ぶ方法がないというんだね。その愛があれば、それは完全に可能である。愛は歴史でも飛び越える。距離とか空間の支配を受けないというんだね

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