生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
心身一体を主張しています。それを何によって一体化させるのかといえば、正に真の愛を中心として一つにするというのです。観念と実在に対する問題も深く入ってみると、いろいろな背景があります。それを解明していけば、正にこの道が正当な道だということが分かるのです。それは、体恤してみれば証明されるのです。(227-13, 1992.2.10)
良心が正しい、行動が正しい、心身一体圏を成しているというとき、それは何を中心として言う言葉でしょうか。言葉だけではいけないのです。行動だけでもいけないのです。心身一体圏の決着点は、どこでしょうか。「まず90度になりなさい。90度になるには、すべての世の中で、水平として中心になれる基準を立てなさい。西洋に行っても東洋に行っても、連結できる標準的な人間になりなさい。それで、歴史的に現在と未来を通じて見ても、それは間違いないと言える基準にならなければならない」。これが結論です。(205-50, 1990.7.7)
人間の貴重な価値を満点にするのは、真の愛と一体になるときに可能なのです。心身一体とは、心と肉身が共鳴圏に立っていることをいいます。音叉の周波数が同じとき、一方をぽんと打てば、その反対の音叉が響きます。それと同じように、真の愛によって良心を打てば、肉身が響くのです。真の愛によって肉身をぽんと打てば、良心が共鳴圏をつくるようになるのです。そこには、教育は必要ありません。その真ん中に入れば、教えるべきすべてのことが分かるようになっているのです。(223-356, 1991.11.20)
統一教会の勇士は、どんなことがあっても心身一体圏を成さなければなりません。この生涯の間に、心身一体圏をどのように成すのでしょうか。それを成すことができない者が愛を考え、理想を考えるということは恥ずかしいことです。天運に反するのです。そのようなものを完成した自分自身を指向する、そこに新たな希望の道が連結されるのであって、ただそのままの基準においては、新たな希望の天国に連結される道が現れません。(205-47, 1990.7.7)
心身一体をどのように成すのでしょうか。歴史を通じて心身が紛争しています。神様がそのように創造されたとすれば、そのような神様は、人間の敵です。自分がそのような立場にいることをはっきりと知って、神様に、「神様自体の心と体が人間のように争いますか」と尋ねたなら、神様は、どう答えるでしょうか。そのようなことを考えてみた人がいますか。神様も人間のように、良心と肉身が心身一体できずに闘っているのかと聞いてみれば、神様は間違いなく、そうではないと答えられます。皆さんは、そのような境地に到達したことがないので知らないかもしれませんが、統一教会の教主としては、そのような境地をいつでも連結できる道があるので、間違いありません。神様は、心身一体となっていらっしゃるのです。(223-349, 1991.11.20)
宗教生活は、体を主管するものです。3年ないし5年以内に習慣性をつくるのです。そのようにならずに、不便な自分を発見できないときには、心身一体の郷(境地)をいくら願っても道がないのです。先生の第1目標は、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」ということです。自分自身の統一圏を成せない人が、いくら世界を飛び回ったとしても、自分と関係をもつ道は絶対にないのです。(222-341, 1991.11.7)
人間の体は、サタンの血統をもっています。皆さんの良心は、アダムとエバが長成期完成級に成長する時まであった神様の良心の基準にまで、成長しなければなりません。それは信念です。それと反対の愛の力により、この良心以上の力によって、サタンにだまされてしまいました。良心も肉身の方向に従わざるを得なかったのです。良心のほうに、もっと力を与えなければなりません。ずっと多くの力を与えれば、肉身がいくら強くても、ついてこざるを得ないのです。そうでなく、良心が肉身より弱ければ、現在の状態よりもっと下に落ちることになるのです。この二つの道しかありません
それで、断食とか水行をして、犠牲と奉仕をするのです。それ以外の道はありません。皆さん、そうですか。この道を歩んでいますか。死んでも犠牲と奉仕をしようと誓いますか。それで死ぬ覚悟をして反対の道を行かなければならないのです。宗教の行く道、それは克服の道です。心身が闘うそれ以上の克服の道なのです。その道を行かずしては、心身一体を成すことができないのです。(222-333, 1991.11.7)
統一教会に入って長くなったからといって、罪を埋めておいてはいけません。それを清算しなければなりません。手続きを踏んで清算しなければならないのです。私の生涯のすべてのものを白紙化させて、そこから新たに復活してエデンの園で罪を犯さず、神様が造られた心と体が完全に真の愛と一つになれる本然的な私だ、と自覚できる男性と女性にならなければなりません。分かりましたか。そうでなければ故郷へ行くことはできません。
皆さんは、故郷の家を訪ねていかなければなりません。そこには、神様がいらっしゃるのです。神様がいらっしゃり、本然的父母がいらっしゃり、本然の私たちの家があり、皇族圏生活を中心として万国を治め得る長子権国家の子孫たちが住むべき所なので、そこが新しい私の故郷の家です。自分が生まれたその故郷ではなく、新しい私の故郷の家、本然の家を訪ねていくにはどうしなければならないでしょうか。その故郷に入れる資格を備えなければなりません。そうするには、私自身が心身一体となり、統一圏を備えなければならないということを知らなければなりません。(233-168, 1992.8.1)
いくら良くできなかったとしても、「神様、私はこのように良くできませんでした」と、このように率直でありなさいというのです。そのように祈祷しなさいというのです。「本然の心がこうで、父の心がこうで、師の心がこうで、国の民の心がこのようになるべきではありませんか。このような心を神様の愛と連結させようと、忠孝を尽くす私の心は、変わらないでしょう。このような心を哀れに思い、きょうのこの心の前に、すべてのことを許してくださることはできませんか」と言えば、神様が「うんうん」と言われるのです。祈祷する方法も知らなければなりません。分かりましたか。(149-38, 1986.11.1)
神様は、いったいどこにいらっしゃるのでしょうか。神様が住まれる所は、いったいどこでしょうか。神様は、最も価値のある愛に定着します。それならこれが男性と女性の二人だとすれば、神様は、どこにいるのでしょうか。神様は一体化し、変わらない、統一された愛の最も底に、垂直に住んでいらっしゃるのです。これが何かといえば、男性と女性が一つになった所、それが中心点になるのです。皆さんが神秘な祈祷の境地、霊的体験圏に入って、「神様!」と言えば、おなかの中から、「どうして呼ぶのか。ここにいる、ここ!」と答えます。「ここ」というのは自分の心の中です。心身一体となった愛の中心点、垂直の場にいるのです。神様の点を垂直と見れば、これをゼロ点というのです。(224-148, 1991.11.24)
心身一体となれば、宇宙の力が保護してくれるのです。宇宙の力が保護してくれる心と体になれば、父母も宇宙の因縁をもった父母、兄弟もそのような因縁をもった兄弟です。みな因縁を結んでいます。民族、国が因縁を結ばなければならないのです。素晴らしい結論です。それで国を越えて他の国に行っても、そのような一体圏を成せば、そこでも通じるのです。どこでも通じるのです。サッカーをするとき、ボールが転がっていって止まったら、どうなりますか。その表面全体が合わさることができる所は、垂直線を通るのです。それで、球形体を理想的な存在だというのです。表面のどんな箇所でも、その垂直線が安着できるのです。それで転がっていくのです。それで心身一体圏、90度の角度になれば、どこでもみな合うのです。西洋人と東洋人、過去の人と現在の人、未来の人も、どこでもみな合うのです。(205-53, 1990.7.7)
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