生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
愛の中心を求めていく人生行路
天国を開く門
第二章 愛を中心とした人生行路
人間は、愛によって生まれ、父母の愛の中で大きくなり、横的に愛を広めながら成熟するようになります。横的な愛は、異性の相対に出会うと愛を完成するようになり、天地の愛を代表できる基準に入れば、その実を結んで子女を身ごもるようになるのです。子女は、核心的な心情の立場から生じた愛の結果として生まれるようになります。
男性と女性が心情的に愛し合って生まれた息子は、愛の核心に通じる道をつくってくれ、その中心を通過すれば、正に神様と出会うようになるのです。人間は、愛の実として子女を身ごもることによって、神様が万物を創造し、人間を創造されたときの愛を体恤するようになるのです。また、父母の愛によって生まれ、愛されてきたことを、子女を愛してみることによって、父母の心情として体恤するようになるのです。父母が子女に注いできた愛は、物質的な愛ではなく、本質的な愛です。
天地が変わっても、歴史時代が変わっても変わらないのは、父母が子女に与える愛です。父母になって子女を愛することによって、神様が人間をどのように愛してこられたのかを考えることができるようになり、体験を通して確認するのです。父母になって子女を愛することによって、父母が私をどのように、どのくらい愛してくれたのかを感じて悟るようになります。そうして、老いた父母に対してさらに敬い、愛によって孝行の道理を立てさせるのです。そのようにできなければ、父母としての資格がないだけでなく、子女に対する愛も偽善だと言わざるを得ないでしょう。
人間は、父母になって子女を愛してみることによって、神様が人間をどれだけ愛してこられたのかを感じて悟らなければなりません。また、神様を心から愛さなければなりません。子女に対する愛よりも老いた父母をもっと愛さなければならず、老いた父母よりも神様をもっと愛さなければならないのが愛の秩序であり、法度であることを知らなければなりません。
人間は、生まれる時、愛によって生まれ、生まれてから幼い時期は愛を受けながら成長するようになります。しかし、ある程度まで成長すると、父母の愛だけでは不足になり、兄弟間の愛と氏族の愛を中心として、横的な愛を広げ始めるのです。
すなわち、天宙問のすべての愛を受けながら成熟していくのです。特に思春期に近づくと、異性間の愛を求めるようになりますが、異性間の愛によって総合的な愛の圏内に進入するようになり、初めて愛の中心を求めていくことができるようになるのです。
愛の運動を通して生じた愛の中心は、すべての被造世界の存在の核でもあります。地球が存在するのも、この愛の中心を中心として運動を続けているからです。愛の中心は、運動を継続できる無限な力が集まった所です。間違いなくその場に神様がいらっしゃる所でもあります。ですから、世の中に存在するすべての被造物は、神様の愛によって創造されて存在し、神様の愛の中心を求めていくのです。神様は、正に愛の溶鉱炉であられるのです。
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