真の愛 P.37
絶対的な神様の前に、私がどうしたら相対的な立場で出ていくことができるのでしょうか。努力でできますか。力を使ってできますか。何をもってしてもできません。しかし愛の因縁を結んでいけば、一度に同等な立場に行くことができます。愛の核を掌握する時には、神様をコントロールすることができます。素晴らしい夫の妻がたとえできが良くないとしても、その妻が愛の因縁をもって妨げると、素晴らしい博士も仕方なく引っ掛かってコントロールされるのです。愛にはそんな力があります。
神様と同等な立場、同位権の立場に立つには、神様の愛を所有しなければなりません。
愛には同参権があります。父が高ければ、子供は低いところにいても、すぐに父の立場に飛び上がることができます。同参権が愛に内在しているという驚くべき事実のゆえに、私がたとえ遠くに離れていても愛によってそこに同参できるのです。
真の愛を体得した人は、神様の本来の理想的な世界で、神様が願うすべてのものをすぐに所有できる能力と権限をもちます。そのような資格は地上で成されなければなりません。神様の真の愛は、同胞を愛するとか、世界の人々を愛するとか、万物を愛することによって、感じることができます。
神様の愛を所有した人だけが、神様が造られた天と地のすべての権勢を相続できる特権をもつことができます。
神様と愛の因縁を結べば、必ず主管性と独立権、その次は相続権をもち得る特権が与えられるのです。
愛の圏内の最大の人格を構成した人は、その世界では神様のような能力行使を可能にするのです。
神様の愛と人間の愛は、本質的に同じです。愛は一つになろうとするのです。男女が互いに慕い合う理由は何でしょうか。男性と女性、女性と男性を通じてのみ神様を所有することができるからです。愛は、互いに好きになることです。
生命と愛のうち、どちらがより貴いのでしょうか。人間の生命は、人間の至聖所を身代わりすることができません。男性の生命があっても、女性の生命があっても、その生命には至聖所が連結されていませんが、愛には至聖所が連結されるので、愛が生命より貴いのです。
誰が主人になるのでしょうか。より「ため」に生きる人です。より「ため」に生きる人が支配し、より「ため」に生きる人が主管し、より「ため」に生きる人に相続がなされるのです。それが天理です。愛には同参権があります。昼でも夜でも、どこでも同参することができるのです。自分の息子、娘の部屋に許可をもらって入りますか。自分の部屋に許可をもらって入りますか。そうではありません。神様を愛するそのような愛の作用をもったならば、神様がどこに行っても私が同参できるのです。
真の愛と権勢とは、何が違うのでしょうか。真の愛は、愛して忘れてしまいます。記憶しません。善と悪の基準は何でしょうか。悪は与えて利益を全部もらおうとするもので、善は自分のものを与えても忘れてしまうものです。家においても、より「ため」に生きる人が善なる側です。「ため」に生きる人は、結局その家の主人になることを知らなければなりません。十人の友達がいるとして、その中で一番いい友達は誰でしょうか。十人の友達のために尽くす友達です。そうすれば十人が、「ため」に生きるその友達を中央に置いて侍るようになるのです。宇宙はそのように相続されていきます。
すべての元素から人間に至るまで、この宇宙全体に対して「お前はどこの何をもった人の所有になりたいか」と聞けば、みな同じように「愛をもった人の所有になりたい」と答えます。すべての万物は愛の主人を探すというのです。
神様はすべての権勢を人間に与えようとします。このようになるためには、神様と人間が愛で一つにならなければなりません。神様の創造理想は一体理想です。愛を中心とした一体理想が創造理想です。
人間は実体をもった神様の体です。神様の実体をもった体なので、人間は外的な神様です。神様はそのような特権を人間に賦与しようとされます。
なぜ「善なることをしなさい」と言うのでしょうか。善なることをしようとすれば犠牲にならなければならないし、犠牲は自分を投入することです。投入すればなぜいいのでしょうか。天運の根本、原因と結果、すべての力の主体、主流に接続できる場に入るからです。それで無限な力を受けることができるからです。善なる人には無限な力が供給されるので、すべてのことに通じます。
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