生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
我々は後退できない
御旨と世界P.103
我々は後退することができない。我々は、敗者になってはいけない。絶対に敗者になってはいけないのである。それで私の祈りは全く真剣である。このような意味において皆様の祈りと私の祈りとはその質が違うはずだ。今や、我々は世界の運命を前において、我々自身の立場を考えてみなくてはなない。
統一教会が滅んではいけない。民族を生かすために、我々は敢然として闘わねばならない。このような闘いを敢行するところにおいて、ある個人的な事情のために中断することはできない。それは敗北を自らつくることになる。逃避者とならざるを得ない。神の責任を背負った人はそのようなことはできないのである。もちろん、悲惨な姿をする時があるだろう。絶望する時があるかもしれない。しかし、我々は後退するとか、中断することはできない。もし我々ができなければ、我々の子係が受け継いでやる―――このような覚悟を我々はもたなければならないのである。このような思想は最も恐ろしい。とにかく我々は、先頭に立たなくてはならない。我々は、一時に敵を攻撃することができる姿勢を整えなければならない。
我々は死を覚悟しなければならない。この文先生は、この道を出発する時既に死を覚悟した。ゆえに私の生涯において一番遺憾なことは、私が軍隊生活を経験しなかったということだろう。しかし、私はいつでも命を投げ出して善のために冒険を敢行する勇気をもっている男だと信じている。一線に出て、先頭に立つ覚悟をいつでももっている。
いったい、統一教会は誰によってつくられたか?この統一教会の運勢をいったい誰が動かしてきたか?皆様が動かしてきたのだろうか?あるいは歴史が動かしてきたのだろうか?皆様が動かしたのではありません。歴史が動いてきたのである。我々はこのような事実をはっきりと知っておく必要がある。我々の力で動いてきたのではないという事実を。
それは数千年間において、歴史的に血を流してきた先烈たちの功労が背景になっているから、我々が動くことができるという事実を明確に知っていなければなりません。それで我々は、歴史的な責任を背負わなければならないのである。我々は歴史に対する責任を負わなければならない。こういう道が現在統一教会が歩んでいる道なのである。
このような立場において、我々は歴史の主体となるか、そうでなければ象徴となってその難しい問題を解決しなくてはならないのである。我々はそういう目的のもとに、お互いが同労者となって闘わなければならない。部屋の中に座って、このようなことはできるものではない。部屋の中にいながら、そのような事実を知っているとしても何の役に立とうか?
とにかく美しい歴史に傷をつけた人は永遠に外されてしまう。我々はダイヤモンドに傷をつけるような、そういう人になってはいけない。統一教会という存在を歴史的見地から見る時、それはかつてなかった、また将来にもあり得ない貴いものであるためである。
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