生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
排斥されたイエス様の悲しい事情を洞察させてください
父の祈祷(1959年1月11日)
お父様!
愛する弟子たちを前に置いて、遠からず地上での生涯を終結し、お父様の国へ行くことを語らなければならなかった、イエス様の物悲しい心を洞察することのできる私たちとなるよう許諾してください。
時間的に見るなら、イエス様と私たちの間には二千年という間隔がありますが、心情の世界では時間を超越することができることを知っていますので、きょうもイエス様の悄然とした姿と物悲しい心情に涙ぐみ、一言一言懇々と戒められた聖なる姿を眺めることのできる、直接的な体恤の役事を呼び起こしてください。
このような場面は、人間たる私たちとして慕わざるを得ない場面です。
この地上の誰がイエス様の心を知ったでしょうか?物思いに沈んだその姿を見て、心深く染み渡ってくる天の悲しみを体恤した人がー人もいませんでしたので、天はこのような人間たちを置いて嘆息するしかなかったことを知るものです。
天の心情を知って「主よ!」と呼ぶ弟子の一人も持てなかったイエス様が、疑心で点綴(一つひとつをつづり合わせる意)された生涯路程を行かなければならず、また疑われ、その物悲しい生涯の終末を迎えなければならなかった悲しみを、この時間私たちが心で同情できるようにしてください。
イエス様が懇切なる天の心情を抱き、天のすべての遺業を抱き、人間を尋ねてこられましたが、人間たちはそのようなイエス様に自分勝手に対応し、排斥し放題に排斥したものです。寂しい立場に追い込み放題に追い込んだものです。
しかし、悲しみに沈み嘆息の立場を余すところなく経てこられながらも、イエス様はそのような人間たちをお捨てになることができず、生命の圏に向かう一つの道を開拓なさるために、彼らを引っ張りゲッセマネの園に向かわなければならないということと、ゴルゴタの十字架の道を行かなければならないということを思われるイエス様の悲惨なる心の前に、頼もしい弟子一人いなかったやるせない心情を、私たちが分かるようにしてください。
きょう私たちがこのような事実を考えながら、天上に対することができ、孤児のような立場であったイエス様の心情を持って「お父様!」と訴えることができ、その時に心情と通じることができるようにしてください。この者たちをして、心を開き、信じることのできる弟子たちとなるようにしてくださり、イエス様を証すことのできる存在となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
イエス様の悲しみがどれほど大きかったかということを知ることのできなかった弟子たち、このような弟子たちを残しておいて一生涯を終結すべき立場にあったイエス様の心情、生涯のすべてを人間のために生きたにもかかわらず、その生涯の結実をみることができず、懇切な心情に沈んで天を案じられたイエス様の心に、私たちが同情できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(1959年1月11日)
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