生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
海には学ぶものが多い
環太平洋摂理 212頁
海が穏やかな時は神秘的です。魅惑的な神秘の女王のような美女になってすべての人々を引き込む力があります。海は銀色にも見えますが、翡翠色にも見えます。そうかと思えば、また千態万状です。そこにそよ風が吹けば、その波の美しさというものは何と言ったら良いのでしょうか。舞姫がどれほど上手に踊りを踊ったとしても、そこについていくことはできません。皆さん、ダンサーを見ようとすれば小さいステージ(Stage:舞台)で踊っているのを見物しますが、それはあまりにも狭いのです。
反対に海のステージは無限です。海の舞台がどれほど広いでしょうか。美女や舞姫のような性質があるかと思うと、一度怒れば荒野で飛びかかってくる虎やライオンよりも恐ろしいのが海です。それを考えてみてください。何十メートルもの波が押し寄せてきて引いていく時は、かもめが鳴いても相手になりません。「お前がいくら歌を上手に歌おうと、お前がいくら素晴らしい喜劇俳優であっても、雄壮な私の気勢の前にはかなわない!」と言うのです。威勢が堂々としています。波が穏やかな時は、快速ボートが気分良くさーっと進みますが、ここでは動きをとることはできません。しっぽを振り、頭を振って、このようにしているのです。波に乗り、波のなすがままにするようになっているのであって、そこには自らの勢いというものはありません。
自然の力は偉大です。ゆえに、海を愛する人は驕慢になることができません。海にはそのような偉大さがあります。海の門を開いてのぞいてみれば、そこには無尽蔵の魚がいます。黄金色から金色、青色と、ない色がないほど多くの魚族が暮らしています。陸地と海の中を比較してみれば、どちらがより美しいでしょうか。陸地も美しいでしょう? しかし、陸地には花と蝶と、それ以外に何がありますか。それから美しい鳥もいるでしょう。しかし、それらのものは単調です。花は動きません。海にいる豪華絢爛な色をもった美しいすべての生き物は、踊りながら活動しているのです。ですから、どちらがより美しいですか。陸地が美しいですか、海が美しいですか。海が美しいのです。
神様は、どうして水をつくったのでしょうか。「神様が鑑賞するための特別装置が水だ」。このようにも言うことができます。ぱっと隠しておいて公開しなかったということです。このようなことを見れば、神様は、陸地よりも海により多くの関心をもっているはずです。また、未来を考える人は、陸地よりも海に関心をもつのです。神様は、まだ見ぬ未来の理想家庭に関心をもっています。それゆえに、地球の歴史始まって以来、今まで地上に現れたものに関心をもつよりも、まだ見ぬ未来観をもっている海の世界に関心をもつということは必然的なことです。これは理論的です。そのような立場から、海を考える人、すなわち未来像を憧憬する人が増えてくるようになるという話が出てくるのです。
釣り糸を垂らして座っている時の退屈さは、到底言葉で言い表すことができません。そこで散歩することができますか。このくらいのところで動いて、そこで料理をしなければなりません。そこから映画を見に行くことができますか。また、友人の所に遊びに行くことができますか。静かにしていなければならないので音楽を聞くこともできないのです。ですから、海を見つめながら海と空と対話をするのです。海と空が一つになっているそこに私一人がいれば、本当に気分が良いのです。
先生は、なぜしきりに海に出ていくのでしょうか。霊的に、すべての面において利益が多いのです。私が一日中家にいれば気が散漫になって、世界宣教師や教会問題など、考えなければならないことの何分の一しか考えることができません。しかし、海に出ていけば全体的な考えが浮かぶのです。そのような面において、海はとても良いのです。
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