今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

涙で満たした心の川(8月8日)

Aug.8.2016 今日の訓読のみ言

涙で満たした心の川

神の召命と艱難、恐れと感激が交差する中で

 

自叙伝 P.58


私は物心がついてくると、「将来何になるのか?」という問題について熱心に考え始めました。自然を観察し研究することが好きだったので、科学者になろうかと考えましたが、日本の収奪に苦しめられ、日に三度の食事さえままならない人たちのめな有様を目にして、考えを変えました。科学者になってノーベル賞を取ったとしても、ぼろを身にまとい、飢えた人たちの涙をぬぐい去ることはできないと思ったからです。

 

私は人々の流れる涙をぬぐい、心の底に積もった悲しみを吹き払う人になりたかったのです。森の中に横になって鳥たちの歌声を聞くと、「あのさえずりみたいに、誰もが仲良く暮らせる世の中を築こう。一人一人の顔をかぐわしい花のように素晴らしくしてあげたい」という思いが自然と沸き上がってきました。一体どんな人になればそうできるのか、それはまだよく分かりませんでしたが、人々に幸福をもたらす者になろうという心だけは固まっていきました。

 

私が十歳の頃、牧師である潤國(ユングン)大叔父の影響で、私たち一家は全員キリスト教に改宗しました。次姉と兄の精神的な病が按手(あんしゅ)祈祷を通して治癒したことから、(ミヨ)(ドウ)標高310メートルのふもとにある(トク)(フン)長老教会に入教し、熱心に信仰生活をしたのです。その時から、私は真面目に教会に通って、礼拝を1度も欠かしませんでした。礼拝時間に少しでも遅れると、あまりにも恥ずかしくて顔を上げることができませんでした。まだ子供なのに何を思ってそうしたかというと、私の心の中には、その時すでに神の存在がとても大きな位置を占めていたのです。そして、生と死や人生の苦しみと悲しみについて、深刻に悩む時間が増えていきました。

 

十二歳の時、曾祖父のお墓を移葬するのを見たことがあります。本来は一族の大人だけが参列する場でしたが、人が死ねばどうなるのか直接見たいという欲求に駆られて、必死に割り込んで入れてもらいました。墓を掘り起こして移葬する様子を見守った私は、驚きと恐怖に襲われました。儀礼作法を(わきま)えた大人たちが集まって墳墓を開けた時、私の目に飛び込んできたのはか細い骨の欠片だけでした。両親から聞いていた曾祖父の姿は跡形もなく、白い骨だけがぞっとするような醜い姿を現しました。

 

曾祖父の骨を見てから、私はしばらくの間、その衝撃から抜け出すことができませんでした。「曾祖父(そうそふ)も生きておられた時はみんなと全く同じ姿をしていたはずなのに……。そうすると、父や母も亡くなれば曾祖父のように白い骨だけが残るのか。自分も死ねばそうなるのか。人はみんな死ぬけれど、死んだ後は何も考えられず、そのまま横たわってばかりいるのか。思いはどこにいくのか……」そうした疑問が、頭の中を離れませんでした。

 

その頃、家の中でおかしな出来事がたくさん起きました。今もはっきりと思い出すことが一つあります。礼装を仕立てようと、機織りで作る反物の出来上がったところまでを(かめ)に入れておいたのに、ある晩、その白い布地が上の村の古い栗の木に掛かっていました。できた部分は(いち)(ひき)(二反)ほどの量になるまで少しずつ集めておいて、その木綿の生地で子供らの婚礼衣装を縫うのですが、これを故郷では「礼装」と呼びました。ところで、誰が夜中に家から遠く離れた栗の木に掛けたのか、それが分かりませんでした。到底人の仕業とは思えないので、近所の誰もが恐れたのです。

 

十五歳の頃、十三人の兄弟姉妹のうち五人の弟妹が、わずか一年で相次いでこの世を去るという悲劇も経験しました。一度に五人もの子供を失った両親の傷ついた心は言葉で表現しようがありません。ところが、ぞっとすることに、不幸はわが家の塀を越えて一族にまで及びました。丈夫だった牛が急に死に、続いて馬が死に、一晩のうちに豚が七匹も死んでいきました。

 

家族の苦難は民族の苦痛、世界の苦痛と無縁ではありません。次第にひどくなる日本の圧政とわが民族の悲惨な立場を見つめて、私の苦悩もただ深まるばかりでした。食べる物がなくて、人々は草や木の皮もあるだけもぎ取って、それを煮て食べるほどでした。

 

そんなある日のことです。新聞で、私と同じ年の中学生が自殺したという記事を読みました。「その少年はなぜ死んだのだろう。幼い年で何がそんなにつらかったのか……」

 

少年の悲しみがまるで私自身の悲しみであるかのよう感じられて、胸が()めつけられました。新聞を広げたまま三日三晩泣き通しました。とめどなく涙が流れて、どうしようもありませんでした。

 

世の中でなぜこれほど異様なことが相次いで起こるのか、なぜ善良な人を悲しみが襲うのか、私には全く理解できませんでした。曾祖父の墓を移葬する際に遺骨を目撃してからというもの、生と死の問題に疑問を持つようになった上、家の中で起こる理解しがたい出来事によって、私は宗教にるようになりました。しかしながら、教会で聞くみ言だけでは、生と死に関する疑問をすっきりと解くことができません。もどかしく思った私は、自然と祈りに没頭するようになりました。
*「私は誰なのか。どこから来たのか。人生の目的は何か」

*「人は死ねばどうなるのか。霊魂の世界は果たしてあるのか」

*「神は確実に存在するのか。神は本当に全能のお方なのか」

*「神が全能のお方であるとすれば、なぜ世の中の悲しみをそのまま見捨てておかれるのか」

*「神がこの世をつくられたとすれば、この世の苦しみも神がつくられたものなのか」

*「日本に国を奪われたわが国の悲劇はいつ終わるのか」

*「わが民族が受ける苦痛の意味は何なのか」

*「なぜ人間は互いに憎み合い、争って、戦争を起こすのか」

等々、実に深刻で本質的な問い掛けが私の心を埋め尽くしました。

 

誰も容易に答えられない問いなので、答えを得るには祈るしかありません。私を苦しめる心の問題を神様に打ち明けてお祈りしていると、苦しみも悲しみも消えていって、心が楽になります。祈る時間は次第に長くなりました。祈りで夜を明かす日も、一日また一日と増えていきました。そしてとうとう、神様が私の祈りに答えてくださる日がやって来ました。それは何物にも代えがたい貴重な体験で、その日は、私の生涯に最も大切な記憶として残る、夢にも忘れることのできない一日です。

 

十五歳になった年の復活節を迎える週でした。その日も、いつもと同じように近くの(ミヨ)(ドウ)山に登って、夜を徹して祈りながら、神様に涙ですがりつきました。なにゆえこのように悲しみと絶望に満ちた世界をつくられたのか、全知全能の神がなぜこの世界を痛みの中に放置しておられるのか、悲惨な祖国のために私は何をしなければならないのか。私は涙を流して何度も何度も神様に尋ねました。

 

祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現れました。風のように忽然(こつぜん)と現れたイエス様は、「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」と語られたのです。

 

その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、その声をはっきりと聞きました。イエス様が現れた時、私の体はヤマナラシの木が震えるようにしく震えました。その場で今すぐ死んでしまうのではないかと思われるほどの恐れ、そして胸が張り裂けるような感激が一度に襲いました。イエス様は、私がやるべきことをはっきりとお話しになりました。苦しんでいる人類を救い、神様を喜ぶようにしてさしあげなさい、という驚くべきみ言でした。「私にはできません。どうやってそれをするのでしょうか。そんなにも重大な任務を私に下されるのですか」本当に恐ろしくてたまらず、何とか辞退しようとして、私はイエス様の服の(すそ)をつかんで泣き続けました。

 

私は非常に激しく混乱しました。両親にも打ち明けられず、かといって、心の中にぎゅっとしまい込んでおくわけにもいかない大きな秘密を抱えてしまったのです。どうしていいか分からず、途方に暮れました。明らかなことは、私が天から特別な任務を託されたという事実です。しかし、一人でやり遂げるにはあまりにも大きな責任でした。しかもその内容たるや驚くべきものがありました。到底自分には果たし得ないと思って、不安と恐怖におののく毎日でした。混乱した心を何とかしようと、以前にもまして祈りにすがりつきましたが、それすら役に立ちません。いくら努力しようとも、イエス様に会った記憶から少しも逃れられなかったのです。泣き出したい気持ちをどうすることもできなくて、私はその恐れを詩に書きました。

 

人を疑えば、苦しみを覚え

人を裁けば、耐えがたくなり

人を憎めば、もはや私に存在価値はない

 

しかし、信じてはだまされ

今宵、手のひらに頭を埋めて、苦痛と悲しみに震える私

間違っていたのか。そうだ、私は間違っていた

だまされても、信じなければ

裏切られても、さなければ

私を憎む者までも、ひたむきに愛そう

涙をふいて、微笑んで迎えるのだ

だますことしか知らない者を

裏切っても、悔悟を知らない者を

 

おお主よ!愛の痛みよ

私のこの苦痛に目を留めてください

(うず)くこの胸に主のみ手を当ててください

されど裏切った者らを愛したとき

私は勝利を勝ち取った

 

もし、あなたも私のように愛するなら

あなたに栄光の王冠を授けよう

 

イエス様に会った後、私の人生は完全に変わりました。イエス様の悲しい顔が私の胸中烙印(らくいん)のように刻まれ、他の考え、他の心は全く浮かびませんでした。その日を境に、私は神様のみ言に(しば)られてしまいました。ある時は、果てしない暗闇が私を取り囲み、息つく暇さえないほどの苦痛が押し寄せたし、またある時は、昇る朝日を迎えるような喜びが心の中に満ちあふれました。そういう毎日が繰り返されて、私は次第に深い祈りの世界に入っていきました。イエス様が直接教えてくださる新しい真理のみ言を胸に抱いて、神様に完全に捕らえられて、以前とは全く異なる人生を歩むようになりました。考えることが山ほどあって、次第に口数の少ない少年になったのです。

 

神の道を行く人は、常に全力で事に当たり、心を尽くして、その目的地に向かっていくべきです。この道には執念が必要です。生来、頑固一徹な私は、元から執念の(かたまり)です。生まれつきの性質そのままに、苦難にぶつかっても執念で克服して、私に与えられた道を進んできました。試練にって翻弄されるたびに私を深いところで支えてくれたのは、「神様から直接、み言を聞いた」という厳粛な事実でした。しかし、一度しかない青春をかけてその道を選ぶことが、たやすいことだったでしょうか。逃げたい気持ちになったこともあります。

 

知恵のある人は、どんなに困難でも、未来への希望を抱いて黙々と歩いていきますが、愚かな人は、目の前の幸福のために未来を無駄に投げ捨ててしまいます。私も若いりには愚かな考えに染まったこともありましたが、結局は、知恵ある人が行く道を選択しました。神が願うささ道を行くために、一つしかない命を喜んで捧げました。逃げようとしても逃げ場がなくて、私が行く道はただその道以外にありませんでした。


 
ところで、神はなぜ私を呼ばれたのでしょうか。九十歳(数え)になった今も、毎日、神がなぜ私を呼ばれたのかを考えます。この世の中の無数の人の中から、よりによってなぜ私を選ばれたのか。容貌が優れているとか、人格が素晴らしいとか、信念が強いとか、そういうことではありません。私は頑固一徹で、愚直で、つまらない少年にすぎませんでした。私に取り柄があったとすれば、神を切に求める心、神に向かう切ない愛がそれだったと言えます。いつ、いかなる場所でも最も大切なものは愛です。神は、愛の心を持って生き、苦難にぶつかっても愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、私を呼ばれたのです。私は何も自慢できるものがない田舎の少年でした。この年になっても、私はただひたすら神の愛だけに命を捧げて生きる愚直な男です。

 

私は自分では何も分からなかったので、すべてのことを神に尋ねました。「神様、本当にいらっしゃいますか」と尋ねて、神が確かに実在することを知りました。「神様にも願いがありますか」と尋ねて、神にも願いがあるという事実を知りました。「神様、私が必要ですか」と尋ねて、こんな私でも神に用いられるところがあると知りました。

 

私の祈りと至誠(しせい)が天に届く日には、イエス様は必ず現れ、特別なみ言を伝えてくださいました。切実に知りたいと願えば、イエス様はいつでも穏和(おんわ)な顔で真理の答えを下さいました。イエス様のみ言は鋭い矢のように、一直線に私の心深くに突き刺さりました。それは単なるみ言ではなく、新しい世界を開く啓示のみ言、宇宙創造の真実を明かすみ言でした。イエス様は風が(かたわ)らを通り過ぎるようにお話しになりましたが、私はそのみ言を胸に抱いて、木の根っこを()く思いで切実な祈りを捧げ、宇宙の根本と世の中の原理を少しずつ悟っていきました。

 

その年の夏休み、私は祖国巡礼の旅に出ました。一文無しでもらい食いをして、運が良ければトラックに乗せてもらいながら、全国津々浦々を巡ってみました。祖国はどこに行っても涙の坩堝(るつぼ)でした。飢えた民衆の苦痛に満ちた息遣いが絶えることはなく、彼らの凄絶(せいぜつ)悔恨(かいこん)の涙が川のように流れました。

 

一日も早くこの悲惨な歴史を終わらせなければ。もうこれ以上、わが民族を悲しみと絶望に陥るままにしておいてはならない。何としてでも日本にも行き、アメリカにも行って、韓民族の偉大さを世界に知らせる方法を探し求めなければならない」

祖国巡礼を通して、私はもう一つの新たな課題を得て、今後の志をさらにしっかりと立てました。「必ず民族を救い、神様の平和をこの地に成し遂げます」両拳(りょうこぶし)をぎゅっと握るや心も引き締まり、進む道がはっきりと見えました。


 

渡米修練会 ① (編集なし) 1:38


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