生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
神との絶対的誓い
祈祷の重要性 1979年4月15日
ベルベディアにて
あなた方は自分の足りなさ、弱さを知っていますね。だからあなた方には祈りが必要なのです。誰かに尋ねなければならないのです。しかし重要なことは、祈る人の態度、姿勢が問題です。最も重要なことは、神との約束です。「はい、私はこの道をどんなことがあっても行きます」と決意しなければなりません。それが祈りの第一の姿勢です。たとえ台風が、竜巻きが、何が来ようとも、それがこの道をやめさせようとする障害になっても、進まなければなりません。「なんでも来い」という気概があれば、何ものも、あなた方をストップさせることはできません。それは決定的な約束です。第一に、そういう絶対的誓約がなければ、神が助けることができません。それは祈りの始まりです。
神も時間を無駄にしたくありません。歴史を通して神は如何に多くの人から裏切られたことでしょう。人々は誓っても、次の瞬間にはそれを裏切ってしまいます。人類歴史はそれを繰り返してきたのです。神が、どうしてあなた方の誓いを信ずることができるでしょうか。神があなた方を助けるためには、その前に、あなた方に神を信頼させることのできる何かがなければなりません。きょう、あなた方が「神よ、私は誓います。この道をどんなことがあっても行きます」と言っても、神は「三年間待ってみよう。今は百パーセント信用できない」と言うでしょう。神は即座に手を差し延べるほど愚かではありません。ある人は三年間、待てずに去っていって失敗してしまうでしょう。もし私が神の立場ならば、やはり同じことをするでしょう。あなた方が神の立場だったらどうしますか。(同じです)。
あなた方は強い確信をもたなければなりません。「神よ、私は本物のムーニーです。どんなに苦しみや迫害があっても行きます」と。たとえ、どんなに一生懸命祈ったとしても、そういう誓約が第一になければ、何も起こりません。ただ時間を無駄にするだけです。そんなことなら祈らない方がいいでしょう。わかりましたか。(はい!)。「神よ、私は年をとりました。二十歳、三十歳、五十歳。しかし私はあなたに誓いました。
私はムーニーです。決して心変わり致しません」という決意、態度が必要です。 私がそういう誓いを神にしたとあなた方は思いますか。(はい!)。
私は一番目に「神よ、私に絶対に変わらない信仰を与えて下さい」と祈ります。「神よ、私に、一つも信じられないようなことを与えて下さい。しかしそれでも私はそれを受け、信じ、決して変心いたしません」と。そして、二番目に絶対的知恵を与えてくださいと祈ります。三番目に完全な愛を与えてくださいと祈るのです。私は生涯を通して、この三つの目標に対して祈ってきました。そしてすべては満たされ、すべては成されました。それがなければ、私も、国家の境界線、人種間の問題を越える力を持っていなかったことでしょう。神によって完全な知恵を与えられたので原理を発見することができたし、それによって世界というものに対する正しい概念を知ることができました。
絶対の誓い、絶対的態度は、すべての基です。すべてはその基から起こります。あなた方は皆、自分は年をとった、と心配しているかもしれません。しかし、そういう心配が、あなたの絶対的誓いを動揺させているのではないでしょうか。それによって動揺するのではなく、そのようなものは私の誓いに比べればピーナッツのようなものであると考えなければなりません。大きな問題、大きな苦しみがあればあるほど、それを乗り越えた時、あなた方の信仰は篤くなり、強固になるのです。そして、鉄の意志をもつのです。
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