生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
神の愛を求める道
万物の日のみことば 1977年6月17日
マンハッタンセンターにて
皆さんは時々、自分は孤独だと感じることはありませんか。誰も自分のことをわかってくれない。家庭からも反対され、教会のメンバーたちさえも、自分に同情してくれない。先生も自分のことはわかってくれない。そしてさらには、神様からも愛されていないのではないかと思うくらい孤独でさびしいと思う時があるでしょう。
そのような時こそ、信仰が試される時です。他人から何と言われようと、思われようと、けっしてあきらめることなく、自分が正しいと信じる道を歩み続けると決意するならば、その瞬間、皆さんは信仰者として最高の基準に到達した時に、神様は無条件で皆さんを信頼することができるのです。そして皆さんは飛躍的に発展することができます。だから孤独の時、さびしい時こそ神様のことを思いなさい。神様を信じて、けっして希望を失わないこと、これが信仰者にとって大切なことです。
苦難に直面した時、たとえ自分の身が死んでもこの道を行くという決意と勇気をもちなさい。皆さんは死ぬのは惨めだと思うかも知れません。しかし神様のみ旨のために死ぬことは、けっして惨めではありません。それは敗北ではなく勝利なのです。全霊界が皆さんを英雄として歓迎することでしょう。なぜか。それは蕩減復帰の法則からいって当然のことです。皆さんは、神様のためにすべてを捨てました。愛する父母や兄弟姉妹、学校、職場、すべてを、御旨のために捨ててきました。だから神様はこのような皆さんに対して、すべてを与えようとされるのです。それが蕩減復帰の法則です。わかりますか。私は正にこのような道を進んできました。
皆さんの場合は、私ほどの苦労をしなくても済みます。私がすべてに先を歩んだからです。私の歩んだ道に従って歩めばよいのです。しかし私の場合は、誰一人教えてくれる者もなく、自分で切り開いて行かねばならなかったのです。わかりますか。安易な道を歩んでいたのでは、けっして私の道に従ってくることはできません。安易に思える道を自分なりに考えて歩んだとしても、結局は後戻りして再び元に帰ってこざるを得なくなるのです。
世間の人々は皆さんが、私に従っているのを馬鹿にするでしょう。なぜそんな馬鹿なことをするのか、と笑うでしょう。しかし皆さんは、この道を歩むことが必要であることを知っています。なぜかうまく説明することはできないけれども、心の中の何かが、この道を歩むことが最善なのだ、と皆さんに命令しているはずです。それは皆さんの本心で、この道が究極的に神様の愛を追求していく道であることを知っているからです。私の場合は、この道を歩むに際して、目に見えない神様に従ってきましたが、皆さんの場合は、目に見える私に従って行けばよいのです。私たちは神様の愛に向って歩んでいます。だからこの道を歩むならば、何か気持が良いものを感じ、歩まない時は気持ちが悪い感じがするのです。それは本心がそのように働くからなのです。
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