生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
神を知る者の道
御旨と世界612
先生が生来の実力を伸ばして世俗的な分野に応用していったなら、偉大な実業家にでも、大政治家にでもなれるし、様々な分野で大いなる名声と尊敬を勝ち得る人物になれるでしょう。しかしそれだけの能力や実力をもっていながら、そういう方向には行かなかった先生です。そして、生涯において、先生より多く涙を流した者がいるでしょうか。苦難の道は避けられないものではなかったのですが、神のために、無条件に、涙の道を選びました。人々から尊敬と讃美を受けつつ歓迎される道もありました。しかし先生は、神御自身がそういう立場におられないことをよく知っていたのです。
では、先生は初めから何の個人的願望も、青年のもつ青空のごとき夢も希望も、もっていなかったかというと、そうではなく当然、大志を、夢を抱きながら、それらをすべて自ら捨てて、いつの日かこういうふうに、という希望の扉のすべてを、自らの手で閉じて、人生の最も悲惨なる道を選んだのです。ただ悲しい神の友になりたかったからです。あなた方もまた、ある意味では同様に苦難を負って歩んでいるわけですが、それは過去において先生が既に通過してきた道を引き継いでいるだけです。そして私たちがこのように自ら進んで苦難を引き継ぎ、それを負っていくのは、ただただ神を知ったがゆえであります。
私たちを非難し迫害する人々が言うごとく、私たちに何か間違っていること、罪深いことがあるとしたら、私たちには一つの罪があるといえるでしょう。それを罪と呼び得るなら、私たちが「神を知っている」という罪です。ただ神を知るがゆえに、私たちは迫害する者たちの非難の的となっているこれらのことのすべてを、なすべき使命として引き受けたのですから。
しかし過去において私たちが何か悪なることを世界にもたらしたでしょうか。神を知ることがいかにして罪となり得るのでしょうか。神を知らないことのゆえにこそ、かくも混乱していく世界であり、教会は崩壊し、共産主義はますますその勢力を伸ばしているのではないのでしょうか。神を知る者の道がいかに悲惨であろうと、神を知ることこそは我らの幸いであり、特権です。
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