生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
神様と人間が出会う愛の決着点
宇宙の根本 神人一体と愛の理想完成より抜粋
宇宙の愛の根本はどこでしょうか。神様です。神様の愛がどこに行って結合するかというときには、ここで論理的整理をどのようにするのかが問題です。神様がアダムとエバを造られて、二性性相を分立し、中和的存在になろうとするなら、何を中心として中和的存在になるのでしょうか。愛を中心として中和的存在になるのです。格位においては、男性的主体格をもったというのです。何を中心としてですか。愛を中心としてです。それを知らなければなりません。
それでは、神様はどのようになっていますか。アダムとエバは、二性性相の主体なので、体は蘇生であり、心は長成です。そして、この心の中に神様が臨在しようとされます。
それでは、アダムとエバの体と体が一つになり、心と心が一つになり、そうなれば心の一番底にあるものが一つになるでしょうか、ならないでしょうか。それは何ですか。神様が一つになるでしょうか、ならないでしょうか。神様は、どこで一つになるのですか。愛のために造られたのなら、神様がどこで人間と共に結合されるのですか。その場はどこですか。愛の場所だというのです。(194-64, 1989.10.15)
「原理」では、神様は無形の絶対的主体として、二性性相の中和的主体としていらっしゃる方だといいます。二性性相でいらっしゃる神様御自身の分性的実体としてアダムとエバを造っておかれ、彼らが成人して愛を中心として横的に連結するようになる時、縦的な立場で中心になろうとされたのです。それは何の話かといえば、アダムとエバが成熟すれば、神様の男性性稟はアダムの心の中に、神様の女性性稟はエバの心の中に入っていくというのです。
かといって、神様が分かれるのではありません。そのような二性性相の主体としていらっしゃる神様なので、アダムとエバの心の中に臨在することができるというのです。(138-247, 1986.1.24)
成熟したアダムとエバが、お互いに愛の因縁を結ぶことができるその時になれば、神様は二性性相になっているために、男性性相はアダムに臨在し、女性性相はエバに臨在するのです。
神様が私たちの心と体の中に臨まれ、神様が結婚式をするのです。(143-236, 1986.3.19)
中央線は、その距離がすべて同じであり、角度がすべて同じです。長さがすべて同じです。そのようになれる中央の水平線は一つしかないのです。二つではありません。垂直も一つであり、垂直の中心点も一つであり、水平線が交差する中心点も一つです。その一つの位置に初めて神様の愛、軸の愛が連結するのです。そこで一つになってぶつかる日には、360度、四方に行くすべての力の作用がこの点を経るのです。このような愛の力が爆発すれば、男性と女性は完全に一つとなり、その中に神様が入っていかれるのです。
神様は二性性相になっているでしょう? 「原理」で論じている二性性相の主体としていらっしゃる神様は、どのような方ですか。二性性相の神様であると同時に、二性性相の中和的主体としていらっしゃいます。その主体の本質は何ですか。愛だというのです。絶対的愛だというのです。(136-37, 1985.12.20)
二性性相の実体圏は、真の愛により、神様の相対として立って神様に帰るのです。正、分、合です。一つだった性相と形状が分かれたのち、実体として再び会う、それがアダムとエバの祝福です。ここに神様も来て一つとなり、男性と女性も一つとなって、ここですべて統一されるのです。これが先生の偉大なみ言です。神様がこのように近いというのです。自分の心の底にいた神様を知るようになった、それ以上のことはありません。何の話か分かりますか。神様のその命令に従って、生涯、間違いない勝利の道を行かなければなりません。(250-109, 1993.10.12)
神様は、二性性相なので、神様の男性性相がアダムの心に入ってくるのです。それで、神様が内的な父になられるのです。神様が内的な父の位置に入ってこられるのです。コリント人への手紙を見れば、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ3:16)とあります。私たちの体を「神の宮」と言っています。私たちの体は、神様が臨在することのできる「神の宮」だと言ったのです。その「神の宮」という言葉は、正しいというのです。神様が二性性相の主体としていらっしゃるために、アダムは神様の男性性格、見えない性格を見える性格として現した存在です。
ですから、アダムは実体として現れた神様の体です。無形の実体が有形に実体化して、人類の父として立っているアダムの背後で、内的な父の立場に立つべき方が神様でした。(139-233, 1986.1.31)
本来、堕落していなければ、神様はアダムとエバの中に臨在することができたのです。二性性相の形状と性相の本体であられる神様は、その性相と形状の相対がアダムとエバなので、その心の中に入っていくようになっていたのです。入っていって、神様とアダムとエバが心身一体圏を成すのです。神様が、堕落せずに完成した人間の心のような立場になり、人間は神様の完成した体のような立場になって心身一体圏に立ち、アダムとエバと共に結婚式をするのです。その結婚式は、実体的、平面的で、横的にはアダムとエバの結婚式ですが、それが縦的には神様の結婚式になるのです。(256-86, 1994.3.12)
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