今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

神様の心情と通じることができる立場(2月8日)

Feb.8.2019 今日の訓読のみ言

神様の心情と通じることができる立場

真を探してさまよう人類

一九五八年十二月二十一日『文鮮明先生み言選集第五巻』

 

 古来、歴史に残ることができる人物は自分を主張して出る人ではありませんでした。民族史に残っている人物というならば、彼は民族をつかんで立ち上がった人であり、社会的な人物というなら社会をつかんで立ち上がった人であり、世界的な人物というなら世界をつかんで立ち上がった人であり、天的な人物というなら天をつかんで立ち上がった人でした。

 

 今日皆さんは、罪人の中でも父母を殺した許し難い罪人であるがゆえに、どこの誰かが悪口を言ったり迫害をしても当然なことと考えなければなりません。そういう立場でも、神様の悲しみと歴史的な悔しさを感じて感謝しなければならない皆さんです。

 

 それとともに、悪口を言う兄弟をつかんで涙があふれるところが、神様の心情と通じることができる立場だというのです。十字架上で自分を打つ者をむしろ心配して、彼のために涙を流しながら祈祷してくださったイエス様の心情、こういう心情を抱いていく道が真の人間が行く典型的な道であり、骨の髄まで深く刻み込んで行かなければならない道なのです。

 

 今日、あなた方は罪人です。私たちはみな祭物にならなければなりません。天はこのような歴史的な祭物を願っていらっしゃるのです。

 

 祭物は受け取る神様が喜び、万民が喜んだのちに初めて頭を上げる存在です。ところが今日、キリスト教は神様が喜ぶ前に頭を上げて、万民が喜ぶ前に頭を上げたとすれば砕けるようになっています。キリスト教が万民のために奉仕しなければならない使命を背負っているのに、そうすることができず、万民のために祭物になるべきなのに、そのようにできずにいるならば、改革しなければならない時が来たということです。

 

 それゆえ王の王であり、天の皇太子であられるイエス様も喜ぶことができないでいます。なぜなら祭物として来られたためです。霊界に行っても、たとえ神様が喜んで地上の聖徒が喜んでも、祭物であられるイエス様は喜ぶことができないのです。神様と万民が喜んだのちに、初めてイエス様が喜ぶことができる日が来るのです。その日が、再臨の日です。

 

 それでは、今日この民族が受けてきたあらゆる迫害を見つめるとき、皆さんの心はどうですか。五千年の歴史を経てきながら、私たちの民族はあらゆる苦労の道を歩んできました。悲しみがあっても、どこかへ行って訴える方法を知らなかったし、悔しさがあっても訴えることを知らない中で歩んできました。では、民族をつかんで私たちはどのようにしなければならないでしょうか。孤児のようなこの民族であっても、私たち同士で手をつかんで号泣しなければなりません。それでこそ、この民族が生きるというのです。

 

 兄弟に間違いがあろうとなかろうと、天が許し、同じ血筋と骨肉をもって生まれた兄弟であるなら、自分個人の事情を越えて、父母の歴史的な血統と心情に結びつくために泣くことができる雅量のある人が出てこなければなりません。今日、そのような人々が要求されているのです。

 

 そういう人々の血が沸く情熱があるというなら、その情熱をどこに傾けるのですか。一身の出世と欲望のためのものならば、それは一個人の限界圏内で終結されるのです。人間の本来の理念は無限大の善を越えに越えて、神様をつかんで喜ぶことを願うのです。したがって、このような人間本来の理念のためにその情熱を注ぐべきだというのです。

 

 今日この民族が経てきた歴史路程に神様の摂理があったとするなら、その摂理の終局に神様はいかなる群れを要求なさるでしょうか。それは神様のみ旨を成し遂げるために泣くことができる姿であるはずです。一つのみ旨に絡まって泣き、一つの心情に絡まって泣き、一つの行動に絡まって泣きながら先に祭物になるという群れです。天はそういう群れを探すのです。

 

 それゆえ二千年前イエス様は人間に対して、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない、わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)とおっしゃいました。表面的に考える時、このように矛盾するでたらめな話がどこにありますか。理解できない話のようだけれども、イエス様は、愛をなくして堕落の路程を経て現れた人類が歴史の終点では自分個人を中心としてみな壊れていくのを御存じであったがゆえに、それを防ぐためにそういうみ言を下さったのです。もしその時に、イエス様が語られたみ言を実践できる役事が起きていたなら、二千年間そのようなことはなかったのです。

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