生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
神様の愛と共に生きる者になろう
一九六〇年五月八日『文鮮明先生み言選集第九巻』
皆さん、神様と近い立場とはどのような立場なのか知っていますか。悔い改めの立場です。しかし知ってみると、「何の罪を犯したので許してください」と言う必要がないのです。お父様の心情を知らなかったことを悔い改めれば、すべて許されます。
息子が両親のお金をみな使って放蕩することより大きな罪は、自分を愛するお父様の心情を傷つけることです。それ以上大きな罪がないのです。それゆえ、「お父様の心情を傷つけたこの罪がどうして許されるでしょうか」と涙する息子がいるならば、お父様は「よし、よし」と言って許してくれるというのです。堕落した父母がそうであるように、神様もそうされます。
人々は教会に行って、「私が何の罪を犯したので、悔い改めますから許してください」と祈祷します。しかし、そのようなことよりも「天倫の原則を破壊し、天と人間の因縁を蹂躙し、人間と万物の因縁を破壊した心情問題で犯した罪を許してください」と祈祷しなければなりません。そのように悔い改めることによって受け入れられ、勝利してお父様に認められるとするなら、万事解決されることとでしょう。天は、そのような悔い改めをする人を訪ねてこられます。
私たちが深い悔い改めにいたる為には、どうするべきでしょうか。「最初にすべきことは、正しい方向性を決定して、日々の信仰生活を悔い改めながら、その目標に向かって努力することです。神は、そのような人の要求にいつも耳を傾けられることでしょう。実際、皆さんも神も既に何をなすべきか知っているのですから、祈祷の90パーセントはあれこれすることについてではありません。祈祷の90パーセントは悔い改めです。これは、天国は近づいた、悔い改めよというイエス様の教えと同じです。悔い改めは、それが正しくなされるとき、とても価値があります。
皆さんの目標は既に非常に高く設定されているので、常に自分がそれを達成しない日のことを知っています。皆さんは、その日には、『神様、きょうのことは申し訳ありません。私はきょう、目標にもっともっと近づきたいと願っていましたが、それに失敗してしまいました。どうぞ許してください。あすはきっとそれを成し遂げます』と言って、悔い改めなさい。それが皆さんが祈るべき方法です。・・・
次の日も、また悔い改めなければならないかもしれません。目標をとても高く掲げると、皆さんはそれになかなか到達できず、毎日が悔い改めとなるのです。それは美しいことです。毎日が新しい日であり、新しい出発になるのです。皆さんは人生の旅のなかにあって、毎日が悔い改めの日なのです。それは素晴らしい生き方です。これは、『今や私はリーダーであって、私がこの周りに命令を与えるのだ』と感じるよりも、はるかに良いことです。悔い改めの人生は、はるかにより素晴らしい生き方なのです。
神は、『私は全能の神であるから、お前たちは私の言うことを聞かなければならない』と自慢されたことは決してありません。それなら、悲痛な心情をもたれた神を慰労しようとしている、私たちが、どうして私はたいした者だと言うことができるでしょうか? 私たちはそう言えるところまでは、まだまだ至っていないのです。日々悔い改める人は、たとえそのことを悟っていなくとも成長しているのです。自分が基準の高いムーニーであって、他の人々の良き模範となっていると思う人はだれでも、既に成長が止まっているのです。皆さんは、悔い改めの道を行きたいと思いますか?
生涯をかけて悔い改めるとしても、だれ一人として自分の負債を清算していないということを、皆さんに悟ってほしいと思います。悔い改めの道においては、日々が新しい出発です。それは正に皆さん自身の十字架の道であって、その道では皆さんは上昇するのみであって、決して下降することはないのです。イエス様は何度も山に身を隠して、断食をし、涙ながらの祈祷をされました。イエス様でさえ、毎日が悔い改めの新しい日だったのです。それが、皆さんが成長し、決してつまずかないことを保証できる一つの確かな道なのです」
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