今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

神様の摂理から見た南北統一 8-1-4 イエス様とその国(4月6日)

Apr.6.2023 今日の訓読のみ言

神様の摂理から見た南北統一 

第八章 我々の祖国と一つの世界
第一節 その国を探して来られた神様の摂理


四.イエス様とその国

 

 主権のない国の国民は惨めなものです。それでイエス様が心配されて、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人たちが切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・3133)と言われました。

 

 まず、息子を求めよと言われましたか、国を求めよと言われましたか。神様が探している国を求めよと言われたのです。(三四―三三七)

 

 神の国と神の義を探し立てようとされる神様の願いは、人間と被造万物を離れて成されるのではなく、人間を通して成されるのです。その願いは真の人間を通して神様と万物が同化することでした。

 

 それで神様は堕落した人間の前に神様を代身とする一つの国の実体として、天の血統を代表できる方として、イエス様をこの地上に送られたのです。すなわち、イエス様はこの地上で初めて神様の歴史的な願いを成就するために来られた方だったのです。(三―一一七)

 

 四千年ぶりに初めてそのような立場に立たされた息子、一つの国の中でユダヤ教を中心として、ヨセフ家庭に一つの種としてこの地上に立てられた息子が、イエス様でした。この時にサタン側は国家を形成し、神側を攻撃していたので、神側でも完全な足場となる国家的な基準がなければなりませんでした。それで、神様は一つの国を編成するために四千年間苦労されました。そのように苦労された神様の功績は、イスラエル民族がイエス様を受け入れることで世界的な足場となり、この地球上が完全に神様とイエス様を中心とする世界にならなければなりませんでした。しかし、イエス様が亡くなられることで、霊的にだけその世界が成されたのです。(二一―三九)

 

 イエス様は三年の公生涯路程でユダヤ教を中心として失ったすべてのことを蕩減復帰しようとしましたが、十字架にかけられて亡くなったのです。それで、霊肉を中心として、この地上に一つの実体として、神様の足場となる国として立てられたイスラエルが全部崩れていったのです。すなわち、四千年間摂理し、準備したイスラエルの足場が崩れてしまったのです。結局、イエス様を殺すことでキリスト教は霊的な国の基盤だけをもつようになり、イスラエル民族は国のない民となって遊離彷徨する立場となり、サタン世界の笑いものになったのです。それで今日、霊肉とものキリスト教の国はどこにもないというのです。ですから、再び来られる再臨主は、四千年間で準備してイスラエルの国をつくった神様の摂理を、イスラエル民族が知らずに不信し失ったので、再び復帰しなければなりません。(二二―三〇〇)

 

 イエス様はこの地上に国を求めるために来られました。一つの国を探し求めるために来られたのです。しかし、イエス様はその国を霊肉共に求めることができず、ただ、霊的にだけ立てられました。ですから今日、キリスト教は地上に実体の国がないというのです。これは神様が地上のどの国、どの民族も、私の愛する国、私の愛する民族だと呼ぶことができないことを意味します。いまだに神様の国の基盤が地上に立っていないのです。もし、その当時にイスラエルの国がイエス様を中心として一つになっていたなら、息子であるイエス様を中心としたその国は神様の国なので、神様はその国を中心として世界を復帰されたはずです。しかし、この地上を中心として霊肉共に連結しようとされた基盤は、イエス様が死ぬことで、すなわち、実体を失うことで霊的にだけ復帰されたのです。

 

 ですから、今までキリスト教徒たちは国もなく、主権がない民と同じ立場だったために、どこへ行っても殺されたのです。殉教の血を流すことで発展したのです。それはなぜですか。そのように植えつけられたキリスト教は、殉教の血を流さないでは発展できなかったからです。既に、血を流し迫害を受けていた時期は終わりましたが、死んでそのままなくなったのではなく、キリスト教の霊的な基盤を中心として、失った実体の国を世界的に探して成すために、その国を慕い、再臨主を待ち続けてきたのです。それが正に再臨思想です。(二二―三〇一)

 

 イエス様も楽園に行って待っているのです。天の宝座の前に行くことができなかったことを知らなければならないのです。イエス様は神様の前に国の主権を立て国を治めて、地上から天国まで直通できる権限をもつ国をつくらなければならなかったのです。それにもかかわらず、イエス様はそのような国をつくることができなかったので、神様の前に立てないのです。それで楽園は天国に行く待合室だというのです。待合室です。また、天国は一人では行くことができないのです。天国は本来、堕落しなかったなら、アダムとエバの家庭単位で行かなければならないのです。そうでしょう? 息子、娘と一緒に行かなければならないのです。そうでなければ、行けないというのです。

 

 それを再び蕩減復帰するために二千年間戦って、今まで世界と連結することができる基盤をつくりましたが、国の基準がない地上に、国の基盤を誰が受け継いでくるのでしょうか。そのために神様はキリスト教を中心とした新しい宗教運動を起こして、多くの神霊的な人たちを集めて運動させながら、今まで準備してきたのです。(五六―二〇一)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ

にほんブログ村 

友だち追加

拍手[4回]

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

み言配信申し込みは以下のメールアドレスにお願いします

LINEアプリに配信できるようになりました。

既にLINEに配信されてる方は上記【LINE紹介】タブをクリックして手順に従って友達に紹介ください。

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S