1971年2月12日 『文鮮明先生み言選集第四十一巻』
聖人は民族主義者とは違うのです。聖人は世界的な方です。聖人は、国家の限界圏内で忠誠を捧げて生きていく人ではないのです。国家的に追い込まれ、追われる人の中に聖人が現れたのです。それはどういうことかと言うと、自分の国を超えて、世界のために努力する人の中に聖人が現れたということです。
聖人は国家と民族を超越し、世界のために自分の命を投入し、受難の路程も喜びとし、世界的な理念とともに生きようとする信念をもち、命を懸けるという条件を立てて、理想世界を探し求めていく人なのです。世界だけでなく、世界までも超越するのです。
聖人たちを見てみると、全員が宗教の教祖であるということが分かります。イエス様も聖人です。イエス様は、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3・16)と語られました。この教えの主流思想は人ですか、神様ですか。神様なのです。仏教の釈迦、イスラム教のマホメットも同じです。彼らはみな、神様を中心とした宗教の教祖として出発しました。
世界の四大聖人を挙げるとき、ソクラテスを聖人として挙げることはできないのです。ソクラテスは知識の王子です。知識は人間の生命を支配することはできません。生命は神様だけが支配することができるのです。生命の価値を探し求めて歩むのが人生であるために、知識を通しては探すことができないのです。博士になったといって、それが人生において価値のあることだと考えるのは、非常に大きな誤算です。その人がもっている知識が、天下がみな認めるだけの知識であるとしても、幼い子供の生命にも満たないものでしかないのです。
宗教は、生命を支配することのできる権限をもって現れたものであり、哲学は知識を追求するものです。それで、ソクラテスは聖人となることはできないのです。知識は、人の命を解決することができないのです。その事実を皆さんは知らなければなりません。
「家庭盟誓」二節の摂理的価値とその意義 平和訓経
「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様に侍り、
天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」です。
家庭の中心で孝子、孝女、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子にならなければなりません。「聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」とあるのは、個人的には家族全員が聖子の位置まで行かなければなりません、そのような聖子の家族全員が集まって聖子の家庭を築くようになるという意味です。これを誓うのです。
天が望むすべてのものを私たちの家庭で完成しようということです。父母は子女の
教育、国家では民の教育、世界では聖人の教育、天地ではその天国の一族、すなわち聖子の家庭の家族として合格者になれるようにしようということです。
「今日の訓読のみ言」復興集会 映像まとめ
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