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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

精誠に対する姿勢(10月26日)

Oct.26.2015 今日の訓読のみ言 

精誠に対する姿勢

           至誠感天・家和万事成 第一章 至誠感天

           第四節 精誠に対する姿勢より抜粋

 

私たち統一教会の信徒たちは、希望をもって積み上げた祭壇に祭祀を捧げたとしても不足だ、ということを悟る姿勢をもたなければなりません。そのような姿勢が、天の民が取る姿勢です。精誠をすべて尽くしても、「ああ、このようなものは、このようにすればよかった」という後悔と悟りのない人は、そこで押し出されます。深い神様の心情の世界には入っていけないというのです。神様の心情の門を開き、天上天下のすべての宝を動かすことはできません。神様は、そのような後悔と悟りのある息子、娘がこの地上に現れることを待ち焦がれていらっしゃいます。(91171960424

 

 天の前に精誠を尽くす人は、精誠に対して、いい加減に接することはできません。地上で、ある食口が一つのりんごを先生のところにもってきたとしても、先生はむやみに手を出しません。精誠を尽くした物にあやまって手を出せば、赦しを受けることができません。ですから、神様の一片丹心の心情と神様の最高の努力を無視すれば、天倫の前に容認されない罪人になるというのです。

 

 ほかの人が精誠を尽くした物に、むやみに手を出してはいけません。100くらいの精誠を尽くした物であれば、110くらいの精誠を尽くしてこそ、手を出す資格があるのです。例えば、ある集団の責任者が、精誠を尽くした物をもらって天に連結させられなければ、精誠を尽くした人が多ければ多いほど早く滅びます。ですから、神霊的な集団は、当代には栄華を極めるかもしれませんが、天道に外れることが多く、すぐに滅びるのです。

 

 このような天倫の法度は、皆さんの生活において、公式的に適用されるということを知らなければなりません。だとすれば、皆さんが今、歩んでいる生涯路程と、暮らしている生活環境にも、やはり不可避的に適用されるのです。172421967129

 

 最も恐ろしいことは、上下、前後、左右で尽くした精誠を蹂躙しなかったかということです。その精誠を受けて、四方に分けてあげ、花を咲かせ、大勢の子孫たちが両手を挙げて大きく推戴(すいたい)できるように、精誠の礼物をきちんと保管しているのか、これがなければ、天の怒りが台風のように現れるでしょう。

 

  先生は、精誠を尽くした人を最も恐れるのです。威張って天下に号令する、そのような人は何でもありません。命令すれば天地が「はい」と従う、そのような精誠を尽くした人を最も恐れるというのです。精誠のひもで神様をしっかり結びつければ、神様も完全に拘束されます。精誠のひもを断ち切るという天法はありません。ですから、神様の本体や本質は、精誠のひもで私たち統一教会と連結しているのです。

 

 精誠を尽くす群れは、打たれて奪ってきます。これが復帰の道です。したがって、このような過程に立っている皆さんは、精誠を尽くさなければなりません。皆さんがいくらうまく出発したとしても、最初に精誠を尽くしてから出発しなければならないのです。(172501967129

 

 精誠を尽くさずに何かを願う人は、とても愚かな人です。精誠を尽くしていない人に天が福を与えれば、その福がその人を打っていくのです。その福は、時と共に歩調を合わせようとするのですが、精誠の基盤をもたずに、その人が福をつかんだままでいれば、その福がその人を打っていくというのです。福が打っていくときは、その人が今まで築いておいた基盤まで、すべて奪っていくのです。修養の世界では、このような闘争が展開していることを知らなければなりません。(401641971131

 

 精誠を尽くしていく道において、どのような人が知恵深い人でしょうか。精誠を尽くすことで終える人ではなく、「私は、あの遠い世界に向かっていく人だ」と考える人です。希望とする所が遠ければ遠いほど不幸なのではなく、かえって幸福だというのです。キリスト教は、そのようにして発展してきました。希望とする所が遠ければ遠いほど、峠道が多ければ多いほど、一段階一段階越えていくのは大変ですが、精誠を尽くして行かなければなりません。

 

 それでは、精誠を尽くしたのに駄目だったとき、そこで倒れて滅びるのでしょうか。そうではありません。神様は、復帰摂理をされるにおいて、個人的な時代が過ぎれば、家庭的な時代を開いておかれます。個人的な時代において、そのみ旨を成し遂げることができる出会いの時をもてなかったとしても、家庭的な時代があるのです。家庭的な時代に行けば、個人的な時代よりもっと精誠を尽くさなければなりません。家庭的時代でその時を迎えることができなかったとしても、氏族的時代があるのです。

 

    

 

 ※本文中、各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の巻数とそのページ、または、み言を語られた日付を示しています。

    例:(123456)=第123巻の456ページ、  

200111)=200111


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