「天聖教」 人間の生と霊魂の世界
地上で結ばれたことは地上で解かなければなりません。そのまま霊界に行っては大変なことになるのです。自分自身が、そこから抜け出てこなければなりません。そうでなければ、永遠に地獄に落ちるのです。
私たちは好むと好まざるとにかかわらず、今、死んでも蕩減の峠を越えていくべき運命的な堕落の後孫だというのです。それを否定できません。この道を越えなければならないのです。それを自分の一生において越えずに霊界に行くならば、何百万年かかるかもしれないのです。
あの霊界には蕩減がありません。そこは解放された完成圏なので、愛の波で充満した所です。蕩減や再創造はありません。再生産もありません。そのような刺激がないために、一度、固着すれば大変なことだというのです。それで、神様はそのようなことを知っていらっしゃるので、この地上にメシヤを送られたのです。
蛇は脱皮すればするほど大きくなりますか、小さくなりますか。1日に10回脱ぐことができれば、10回脱ぎなさいというのです。霊界に行っては、そのような刺激がありません。そのような装置がないのです。再び地上に尋ねてきてそれを解怨成就できるようにといくら願っても、それは不可能です。一度行けば、勝手に来ることができないのです
あの世、霊界には愛の刺激的な要素はありますが、罪悪を取り去ることのできる蕩減的な要素がないために、数多くの歳月がかかるというのです。そのようなことを知ったので、先生は40年間にすべて築いて片づけたのです。昼夜を忘れて過ごしてきました。一日に夕方一食だけ食べ、あるいは朝一食だけ食べる生活が普通だったのです。そのように生きてきました。
地上で肉身があるときは大変ですが、共に抱き合い、痛哭しながら感動させることのできる道がいくらでもあるのです。しかし、霊界で肉身をもった地上の人間を感動させることはとても難しいのです。
この地上にいる生活がどれほど重要でしょうか! 一回しかないのです。瞬間ですが一回しかありません。地上生活を永生と比較すれば、これは一点にすぎません。あまりにも短い瞬間です。私の肉身生活を越えて、霊界のために準備をしなければならないのです。常にそのような主流思想をもって中央に立って、一切をコントロールし、一切を征服することができなければなりません。そうでなければ、皆さんは完成することができないのです。
霊界で最も嫌うことは堕落圏を中心とした風習、習慣性です。風習によって習慣性になってしまうのです。日本人は日本で生まれましたが、食べ物は何を最も好みますか。汁と御飯なのです。アメリカ人はハンバーガー、韓国人はコチュジャンとキムチ! しかしこのようにだけ考えて生きれば、その習慣性は永遠になくすことができないのです。
それならその習慣性をどのようになくせばいいのでしょうか。自らの習慣性をなくすことがこのように難しいのに、固着した堕落性、頑固な習慣性をもって霊界に行くならば、どれほど難しい立場になるでしょうか。それを、この地上で整備しなければならないのです。
霊界に行くとき、それがどれほど難しいでしょうか。ですから夫が問題ではありません。息子、娘が問題ではありません。夫と妻、息子、娘は、自らの習慣性をみな解決したのちにいかなければならないのです。
地上で結ばれた、それは、地上で解いて逝かなければなりません。霊界に行って解こうとしても、そのような刺激的な環境がないのです。反対する悪役が、善に反対する世界がありません。それが悪かった場合にはそれに反対するのではなく、悪い方向に押しやってしまうのです。決別させてしまうのです。
皆さんは霊界に行き、保護館での生活をしなければなりません。何千年も待たなければならないのです。祝福を受けた人々も今後…息子、娘たちがみな「お母さん、私をなぜこのように生んだのか。なぜここに引っ張ってきたのか」と言わないと思いますか。皆さんの息子、娘たちがじっとしていると思いますか。
皆さんの家庭のレベルはみな異なっています。ですから、行くにもすべて自分の級に合う所に行って、長い間とどまるのです。そうなれば、皆さんの先祖が、息子、娘たちが、「どうしたのか。なぜそのように良くすることができなかったのか。何だそれは」と言いながら讒訴します。そうなれば、皆さんはそれに該当するだけの長い時間、そこにとどまらなければならないのです。そんなに易しくありません。ですから、地上でしなければならないのです。先生が「しなさい」と言うことを、みなしなければなりません。
皆さん、まだ真の家庭になっていないでしょう。霊界に行けばすべて別れます。霊界は永遠に堕落せず、天国の家庭を成して生きた人々が入るようになっているのです。地上においては、80年以内に解決できる問題が起こりますが、霊界に行けば永遠をおいて、何千万年かかったとしても、その解決の道は難しいのです。皆さんは地上で清算しなければなりません。地上で解決しなければならないのです。地上で解けば天で解かれ、地上で結ばれれば天で結ばれる、とあります。地上で失ってしまったので、地上で取り戻さなければならないのです。
体をたたいて、3年5年制裁するようになれば、その世界に行くものなのです。そうではないですか。肉的なことを大きくすれば、霊的なことは小さくなるのです。肉的なことをなくしてしまえば、霊的なことは高まるのです。同じです。ですから、外的なものを無視して縦的なものを重視するようになれば霊界が近づいて、本然的良心的基準に接ぎ木をすれば電気線のプラス・マイナスが、発電所の電気が通じるように爆発するというのです。それゆえに天地の変化の作用が起こるのです。そのような霊的体験がなければならないということを知らなければなりません。
聖書の「地で結べば天でも結ばれ、地で解けば天でも解かれる」という論理も、このような二重構造の一体性を知ることによって解明できるという結論が出てくるのです。きょう、私たち人間は肉身をもったこの期間が本当に、どれほど貴重なのかを知らなければなりません。神様も復活させることができ、宇宙も復活させることができ、全天下を統一させることのできる期間は、肉身をもっているこの期間しかないという結論になるのです。神様と万物を合わせても、この肉身世界と取り替えることができないのです。
なぜそうなのでしょうか。神様とこの宇宙を合わせても、肉身をもった人間がいなければ完成できないためです。それゆえ、今日私たち人間の体がどれほど貴重なのかを知らなければなりません。それは素晴らしいでしょう。
天国に行き、地獄へ行く二つの道があるとすれば、天国を訪ねてくる人と地獄へ行く人とでは、どちらがより多いでしょうか。地獄へ行く人々が、より多いことでしょう。それを見つめる神様の心情はどうでしょうか。どれほどあぜんとするでしょうか。地獄とは関係なく天国に来て、膨大なこの国の民になって、愛を中心として神様とともに生きなければならない息子、娘たちが、みな地獄へ行くのを見るとき、どれほどあぜんとするかというのです。皆さんの息子、娘が死の地に行くと考えてみてください。このようなことはいずれ霊界に行けば、皆さん、すべてが知ることです。
霊界に行けば、みんな尋ねるというのです。「先生の教えはこうだったが、この基準に対してあなたは合格者か、不合格者か。霊的五感と肉的五感が一つになり、この基準に合わせようと努力したか」と聞くのです。皆さんはどのように考えますか。「天国はどうあってもいい」と考えて、ただで通過できる所ではありません。祝福を受けても、でたらめに生活した人が集まる所ではありません。深刻な人が集まる所です。皆さんは、先生よりもっと深刻でなければなりません。
霊界に行けば、まず誰に一番に会えるかというのです。誰に会ってみたいですか。そのようなことも考えたことがないでしょう。自分の母親に会おうと思っても会えません。真の父母が解放させる前には会えないのです。いくら愛する人だといっても会うことができません。少し離れた場所から見ることはできますが、近くでは会えないのです。
人間は霊界に入籍する時、地上生活を証明する証明書をもっていかなければなりません。「私はこのように生きた。このようなことをした」と言うことのできる生涯の証明書のことです。そのような証明書は、自分自身で書くことができないのです。初めはサタンが書きます。先にサタンから証明書をもらってから、イエス様の証明書をもらわなければならないのです。それから神様の証明書をもらわなければなりません。
今後、皆さんは自叙伝を書かなければなりません。自叙伝を書きなさい。統一教会に入ってからの生き方を、一つのうそもなく自叙伝を書かなければなりません。そうすれば、霊界に入っていく時、その自叙伝を前において「私がこのような役事をすることができたのか!」と痛哭をすることができなければなりません。これを地上で書き天国に行って、160名、240名、360名に該当する霊通人たちが前に立っている列をたどっていく時、うそをつけばそこで雷が起こるのです。欺(あざむ)くことはできないというのです。
皆さんが行動したすべてが、あの世に行ってスイッチだけ押せば、あっという間に一生がテープにすべて現れるのです。それは悲惨なことでしょう。ここで先生がすべて許してあげるようになれば、そのテープがすべて消えてしまうのです。そのようなことを知っていますか。
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