生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
自分の命よりも強い信仰に力を得ながら
アメリカに対する神の希望
1973年10月21日
新しい世界を夢見る者にとって、アメリカは魅力的なものであったに違いありません。アメリカが未踏の地だとしても、自分たちの切望する自由な礼拝を約束していました。清教徒も彼ら自身の社会共同体をつくるという強い願いを感じていたのです。アメリカはそれには理想の土地であったのです。彼らは勇気をもってそこに出かける決意をしたのです。彼らは大西洋に出て、おぼつかない旅に出たのであります。自分の命よりも強い信仰に力を得ながら彼らは命懸けの旅に出たのです。
考えてみましょう。彼らは家族も、親戚も、環境も国も捨て見知らぬ土地に向かったのです。彼らのたった一つの望みは神でした。彼らが取るどの手段も 神によっていました。旅は長く、嵐にもたくさん出会いました。彼らは絶え間なく神に祈ったのです。彼らは何にも屈せず、ただ神に屈服したのです。船で病気になり死にそうになったからといって、彼らには飲む薬もなければ、診てもらう医者もいないのです。神に屈服する以外なかったのであります。これらの清教徒団の男も女も神と一つでありました。それは生きる手だてだったのです。
皆さんも御存じのことと思いますが、メイフラワー号はニューイングランドにあるプリマスロックという所に冬のさなかに到着したのです。ニューイングランドの十一月はかなり寒いものでした。新しく到着した者は飢えに瀕したのです。彼らが死ぬほどおなかがすいても、メイフラワー号に積んである穀物の蔵に手をつけなかったという事実は、本当に私を感動させました。彼らは春の穀物の植え付けのためにとっておいたのです。これは実に犠牲の崇高なる例であります。数日の生命のために自暴自棄になるより、あすに希望をもちながら死のうと思ったのです。
清教徒団は目的と希望とにあふれてこの地にやって来ました。彼らは自分たちの命を全うするより、彼らの目的のほうが重要であることを知っておりました。神への信仰を除いて何が彼らにこの勇気、献身、犠牲の精神を与えたでしょう。彼らがプリマスに着いた時、航海に耐えた四十一人の男は一緒になって政府に対する彼らの考えをまとめました。「メイフラワー盟約」は神のみ名によってアーメンと結ばれ署名されました。これは本当に素晴らしい話です。この小さなグループは神に希望をおいてヨーロッパをあとにしたのです。彼らは神のもとにあって病にかかり死んでいきました。そして神のもとで生きのびたのです。彼らは最初の政府をつくりその公式文書に“神のみ名によって”と署名しました。
アメリカの清教徒の話は神の歴史の一つです。それは歴史上の義人アブラハム、イサク、モーセ等のパターンのうち、これらの清教徒たちは現代歴史のアブラハムの家庭に当たります。ですから「メイフラワー盟約」がサインされたのちも多くの苦労に立ち向かっていかなければならなかったのです。
アメリカでの最初の冬、大胆なメイフラワーの生存者は最初の人数の半分になっていました。来る日も来る日も、その冬は愛する者との心を引き裂くような別れの日々でした。これらの勇敢な開拓者が次々に死んでいきました。
しかし、朝から晩まで、晩から夜明けまで彼らの生活は神のみ意を中心としていました。神が彼らの唯一の慰めであり、彼らの唯一の希望であり、彼らの唯一の安全でありました。神が彼らにとって第一の仲間であったのです。ここにまれなる純粋なる神の人の一団の例があったのです。彼らはあくなき信仰を証明し、神は代わりに力と勇気を与えられました。彼らは決して神への信頼を失わず未来の展望を失わなかったのです。アメリカに来ることの目的は神を中心とした国をつくり、神が住むことのできる、そして本当に親交を分かち合い神と共に親交を喜ぶことのできる天地をつくり上げることにあったのでした。これはすべて神の摂理の中にあることでした。なぜなら神は最終的な永遠の世界救済のため、神の闘士として仕える一国を必要とされているからです。
それから、もう一つの奇跡が清教徒たちにもたらされたのです。辛うじて彼らが生き残り彼らの人口が半分になった時、インデアンの一撃は簡単に彼らを全滅させてしまうことができたのでした。しかし、ここでも神は彼らの盾となりました。メイフラワー号の生き残りの人々が出会った最初のインデアンは敵ではありませんでした。インデアンは、移住者を歓迎しました。もしその時清教徒たちが殺されたとしたら神のためのアメリカは多分存在しなかったでしょう。神はここアメリカでも神の人々を救うため介在されたのです。これは私の信念です。神は、彼らが定住することを望まれたのです。そして清教徒にその機会を与えられたのです。
人口が増すにつれて、彼らは自分たちの植民地を拡大するためにインデアンを追いやらなければならなくなりました。もちろん、この地はもともとは新しいアメリカ人のものではありません。インデアンはこの地の住民であって清教徒たちはインデアンの目から見れば侵略者であったに違いありません。それでは、なぜ神はこれらの新しい移住者に大きなチャンスを与えたのでしょう。私の説明はこうです。神はアメリカの移住者に味方されました。それが、神の御計画の中にあったからです。さらに、これらのアメリカの移住者たちは神の要求に見合い、真に神への揺がない信仰を証明したからです。神は彼らに約束事を与え、その約束事を成就せずにはいられませんでした。
アメリカの存在は神の摂理と一致しています。神は将来の仕事として地上に一つの強力なキリスト教徒の国をつくらなくてはならないのです。結局アメリカは、まず神のものになり、それからインデアンのものになるのです。これが、清教徒の立場を正当化することのできる唯一の解釈なのです。
アメリカ大陸はそれまで特別な目的で隠されていました。そして適当な時まで発見されなかったのです。神の選んだ人々は決められた時にやって来ました。彼らは新しい生活方式を形造るためにやって来たのです。彼らの第一の相談相手は神でした。家では、子供の面倒をみながら農作業をしながら、あるいは、料理や建築作業をしながら彼らは神と仕事を分かち合っていました。神は彼らの唯一の安全でした。農夫は子供と畑仕事をする時、“神の名において耕そう”と言ったのです。彼らの毎日の生活は神のみ名においてなされたのでした。
最初の春が過ぎて、彼らは整地し種を蒔き耕し、実りを刈り入れました。そしてすべての収穫を神の前に捧げました。感謝祭という美しい伝統はこうして始まったのです。次の厳しい冬に引き続いて彼らが最初に建てたのは教会でした。彼らが最初につくった道は教会への道でした。夜に、明け方に、朝に、昼に、彼らは神に祈ったのです。彼らはこう祈ったに違いありません。「神よ昔いた土地よりもっとあなたの住み良い教会をつくりたいと思います。私たちはあなたが住まわれ、主人となる場所をつくりたいのです」。
そして彼らは、このキリスト教国家が地球上のどの国より世界のために良いことをなすだろうという未来の展望をもっていたのです。私は教会の次に学校を建てただろうということを確信しています。彼らは子供たちにかつての世界にあったどの学校より良い学校を望んでいました。彼らの住む家は最後に彼らの家を建ててからそれを神に捧げたのです。これが、私の知るアメリカにやって来た清教徒団の歴史です。初期のアメリカが美しいアメリカとして私の目に浮かびます。というのは神はあらゆる所におられたからです。学校に教会に、台所に、通りに、どんな集会場にも、マーケットにも神はおられたのです。
1776年に独立運動を指導した人々を見てみましょう。これらの自由の闘士は英国本国の目から見たなら裏切り者でした。しかし神は、神の手段として神の遣わす人としてこれらの裏切り者を使われました。そして、彼らを通して地上に最高の国をつくろうとされたのです。
この点でアメリカは、特殊な存在です。あなた方のお金、紙幣やコインにさえ、美しい字で「我神を信ず」と書かれ刻まれています。他のどこの国もそのような習慣はありません。それでは誰のお金でしょうか。あなたのでしょうか、アメリカのお金でしょうか、いいえ、それは神のお金なのです。どの紙幣も硬貨もそう言っています。あなたは管理する人です。神があなたの手に神の富を積まれるのです。そうです、この国はアメリカの国ではありません。神の国なのです。そして、そのような国はアメリカだけのために存在するのではありません。世界全体のために存在するのです。そうです、アメリカは新しい国として造られました。新しい伝統をもつ新しいキリスト教国家なのです。古い伝統の足かせはアメリカにはなくなったのです。あなた方は神のもとでの新しい国をつくることを望まなくてはならないのです。
神の目的は世界のそして人類の救いであります。ですから、今日アメリカにおいて、皆さんはあなた方自身が偉大であるからそのような富を得た、と考えてはいけないのです。私たちは神の祝福が、神が世界を救うため、この国を手段として使うのが目的で、アメリカにもたらされたのだということを謙虚に悟らなければならないのです。もし、アメリカが神を裏切るなら、神はどこへ行くのでしょう。もし、アメリカが神を拒絶するなら、神はその目的を成就するのにどこに行くことができましょうか?
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