生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
興南監獄で考えたこと
東京地区和動会における御言
1967年6月16日
(質問)「硫安工場ですがね。硫安を運ぶ仕事をなされたということですが、その時のことを」。
そういう話をしたら、みんな真剣になるよ。あまりに緊張する。そういう話をしたら、たくさんあるんだね。すべてが涙ぐましい内容だ。そういう時期が先生には、実に必要な時期であったと思うんだね。先生自身としても、そのような時期が実に必要だ。君たち自身においても、実に必要だ。
責任を持った人が一遍殴られるのは、万民が千遍殴られる立場を逃れる条件になる。そういうことがある、心情的に心が痛む。それで神は、その時の悔しい心はいつも残っておるから、反対した人たちよりも、君たちは尊い立場に立っておるというんだね。歴史を越えて、先生のその時代の友達になったというような立場に立つ。先生がそういう期間を持ったからこそ、君たちがそういう条件を通して歴史以前、君たちの分からない時代の先生の友になったという条件を神様の前に立たせることができる。もしそういう条件がなかったら、そんなことはできないだろう。そういうことを聞いたり、それを分かって涙ぐむという時がね。それをちょっと話しましょうか? (はい)。
先生は牢屋に入った回数が相当多いんだね。だから、そういう方面では専門的だ。そういうどん底の世界は、よく分かっておる。そういう惨めな階級の人間の実相をよく知っておる。それで、先生は、強盗やらいろいろな犯罪者と共に生活した。寝食を共にしたわけなんだけど、一番かわいそうな場面はどういう場面かというと、最高刑を受けた人、死刑の宣告を受けた、そういう人たちが一つの監房におったんだね。ああいう人たちの気持ちが忘れられない。
もしも彼らに生きるという道があれば、いかなる方法とか方便でも語ってやるというんだね。
生きる道があって、そのために命令されることがあったら、世の中に果たし得ないことはない。彼らにとって、名前を呼ばれる時間こそ、惨めな立場はない。一回呼び出されたら、最期になる例が多い。だから、自分の名前を呼ばれるというと、これはびっくりするんだね。そこで人知れず、深いため息を吐くんだね。そういうのを思うというと、先生はこういうことを考えた。もし仮に、水があふれるほどにいっぱいの水を(器に)注いで、「これを額の上に載せて一滴の水でも落とさないで東京の街中を回ったら、許してやる」と言うなら、それも可能であろう。何か知っている? その気持ちが君たちに分かる? もしも生きる道があるなら、それ以上のこともやり得る。だから、命に対しての愛着から、寝ながらもため息をつく。
そういう現象を見た時にね、先生は、彼らとちょっと比べてみたね。私は、もっともっと神のほうに奉公しなければならない。
彼のような真剣な立場に立って、神の御旨に対して命を惜しむような心以上の心で、神に対して忠誠を尽くしたことがあるか。それには自信がなかったね。それで彼らを通して、先生は祈ったことがある、「私は彼ら以上の心持ちになりたい」。しかし、私は、まだその立場に立っていないから、分からない。
しかし、そういう立場に立ったならば、私としては、死ぬのは問題ではありません。問題ではないでしょう。その場において、いかに神を慰め得るかということが問題である。そういうことを考えたんだね。だから死ぬ立場において、神に救いを求めない。かえって、神に慰めをいかに来たらすかということが問題だ。そういうことを考えた。だから、つらい立場に立つと、神は、そのつらさを知らざるを得ない。愛すれば愛するほど、その者の胸の痛みを分かっておる。それに対して、子供として親孝行すべき立場にある者が、「ああ、神よ、救ってください。こういう立場から逃してください」という祈りこそ、親不幸な者である。だから、そういう立場において神を慰め得るような孝行者になりたい。それで先生は、そういう立場に立っても祈らない。祈りをしないように決心しなくては。その基準でもって歩んできた。そういう真剣な基準を、君たちは想像しても分からないんだね。そういうことを、今でも忘れないんだね。
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