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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

良心が正に師であり近い神様(1月4日)

Jan.4.2017 今日の訓読のみ言

良心が正に師であり近い神様


成約人の道
 第一章 人生観  

 もう、私たちが誰かの言葉を聞く時は、過ぎ去りました。どんな真理よりも、1000万倍素晴らしい師の言葉よりも、私の良心の声を聞き、聞いてもまた聞きたくて、その良心を求めていくべきです。そうすれば、私も分からない無限大の何かが出てきます。それが創造の内容です。(7-201, 1959.9.6

 良心が体のために、どれほど犠牲になったことでしょうか。一生の間、蹂躙される良心の事情を皆さんは知っていますか。昼も夜も、私を管理するのにくたびれているのが良心です。それでも疲れずに、体が悪い行動をしようとすれば、やめさせようとするのです。「そんなにやったのなら、もうやめなければならないのではないか。私の言うことを聞かなければならないのではないか」と、そう言うでしょう。自分に一番近い、父母の代わり、神様の代わり、師の代わりの存在が良心です。心自体には、教育が必要ありません。しかし、体には、教育が絶対必要です。(214-283, 1991.2.3

 皆さんの心と体を中心として見るとき、良心がどれほどかわいそうですか。良心は、神様の代身です。良心は、烈祖(注:功績のある先祖)、先祖たちを代表するのです。良心は師を代表し、良心は王を代表するのです。ところが、これまでこの良心をどれほど(さげす)み、手荒にあしらいましたか。宇宙の中心として真なる父母の立場にあり、真なる師の立場にあり、真なる主人の立場にいる、真の愛をもった主体としていらっしゃる方の代わりにあるその良心が、この地上において私一人を収拾するために、どれほど犠牲になったことでしょう。そのように犠牲になりながらも不平を言いますか。ただぞんざいに扱われ、引っ張り回されながら、死んだと思っていたのに、悪い考えをもって夜中にどろぼうでもすれば、「おい、こいつめ!」と再びよみがえって忠告するのです。 皆さんは、そのような良心を、どれほどもてあそびましたか。心は父母の代身であり、良心は師の代身であり、良心は主人の代身です。良心の世界には、公判が必要ありません。(209-154, 1990.11.28

良心は、先生の代身、父母の代身、神様の代身です。良心に教えられる師は、いません207-267, 1990.11.11

 
その師が、正に人間の良心です。私たちの良心は、常に私たち自身にもためになるように言葉を語り、私たちを真の愛と連結させてあげようとします。父母のように私たちの良心は、私たちをして善なる非利己的な人になれと促し、神様のみ意に従って行動するように導いてくれます。しかし、各自の心の中にはまた、良心の声にいつも逆らう反乱者がいます。その反乱者が、まさしく肉体なのです。(201-208, 1990.4.9)


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