このように良心は、真なる主人の姿をもって私を保護しようとするのに、裏切ったこの体、宇宙から賜り受けた一つしかない貴い師であるにもかかわらず、この先生を容赦なく手荒にあしらったこの体、また私の本然の愛の心を引き継げるように父母の代わりに送られた良心を容赦なく蹂躙したこの体です。このように心の怨讐となったこの体を、皆さんは、愛しますか。いいえ。心と体の闘いをやめさせる前には、天国はないのです。いかなる聖人も、このようなことを考えませんでした。(201-154, 1990.3.30)
陰と陽、性相と形状というプラス・マイナスは、相対的であって、相反することができません。しかし今日、堕落した人間には心の声もあり、体の声もあります。心と体が一つになっていません。神様に似て生まれるべき男性や女性の心と体が、どのように分かれたのかというのです。これが問題です。
神様は絶対的な方なので、私たち人間においての標準相である心と体が絶対的に一つになり、神様の全体世界に和合し、一つの中心的な役割をすべきなのにもかかわらず、私たちの心と体がどのように分かれたかというのです。心と体が分かれたのが、心のままになされたことなら、神様はいないのであり、理想や統一や平和や幸福といったものの基地を見いだすことができません。(195-305, 1989.12.17)
神様は、遠くにいらっしゃるのではありません。私の中にいらっしゃいます。良心が皆さんの主人でしょう。夜に悪いことをしようとしても、現れて「行くな」と言い、いつでも現れて主人の役をし、どこででもお母さんのように、先生のように教えてくれるのです。ですから、この体のやつが怨讐です。体が怨讐だというのです。(201-76, 1990.3.1)
心と体がいつ統一できるのか、それを考えなかったでしょう。これが深刻な問題です。一生の間、心と体が闘うのですが、この闘いをやめさせる者は誰でしょうか。これが問題です。私たちのお母さん、お父さんもやめさせられません。王もやめさせられません。師もやめさせられません。聖人もやめさせられません。この心と体の闘いをやめさせられる主人は、どこにいるのでしょうか。深刻に求めてみましたか。それが真の愛だというのです。(184-211, 1989.1.1)
今は如何なる指導者も修道者も頼れない。善悪の判断のつかない、善悪混沌期に入っている。唯頼りになるのは神の直接の声と清い良心の判断のみである。
「終末に於ける人類の決意」 原理解説
*開質問状&反論まとめ
* 「今日の訓読のみ言」復興集会 映像まとめ
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